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自分の内面を「形」にする ---投稿雑誌『Inside Out』ブログ since 2007/11/15
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プロフィール
HN:
川端康史
年齢:
40
性別:
男性
誕生日:
1984/06/29
自己紹介:
『Inside Out』代表の川端です。
自分の内面を「形」にする。
こういった理念を持った雑誌である以上、私にも表現する義務があると思っています。
ここはその一つの「形」です。かといって、私だけがここに書き込むわけではありません。スタッフはもちろん作者の方も書き込める、一つの「場」になればと思っています。
初めての方も、気軽にコメントなど頂ければと思います。

mixi:kawattyan and Inside Outコミュニティー
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反芻(リピテーション)
本多篤史

 
「僕はちょっとだけ時間をゆっくり動かすことができるんだ。床と自分の間くらいに焦点を合わせるだろう?そしてじいっと集中するんだ。ほんとなんだって。」
 といった彼と私が出会ったのは、今からちょうど十年位前になる。そのころの私達はやっぱり子供で、季節 ―例えばちょっとした風のにおいだとか、草むらの緑と青の混ざる割合だとか、友達の顔を見たときの影の強さとか― そういうものに本能的に最も敏感だったころだ。だからかどうかはわからないが、私は初めて彼と会ったときのことを鮮明に覚えている、というよりそのイメージが感覚としてはっきり残っている、といったほうが正しい。またそのころちょうど私は自我と客観性という問題について無意識ながら考え始めていて、それが故に「自分の中の第三者である自分」というものの存在に事あるごとに気付くようになっていた。従って当然のことながら周囲から一歩離れたところで世界に参加するのが常となっていた。ずれ、とでもいうべきか、なんだか空中を質量の無い私が歩いているような気持ちで毎日を続けていた。そんな生活だから、私は必然的に彼に親近感を覚え、少しづつではあるが彼と仲を深めていったのだった。彼は一度だけ、さきの言葉を口にしたことがある。ある人のある言葉がどんな詳細なプロフィール、どんな素晴らしい形容よりも如実にその人の全体を表現する、というのは往々にしてあることだが、あの言葉は彼の人となりを最も直感的かつ正確に表現しているように私には思えたし、事実そうであった。
 彼と出会ったときのことを先に話しておこう。
 春のことだった。国立大学の附属であるN中学の入学試験に私は見事合格し、その日は初登校、入学式の日だった。式典は今の日本人ならほとんど誰もが体験したことがあるような淡々とした退屈な雰囲気で行われ、先生方は心にも無いことをさも自分の切な願いであるかのように我々に話して聞かせ、私は子供ながらに何か冷たく冷え切ったものを感じていた。式典のあとそれぞれの教室にむかい、自己紹介をしていくこととなった。出席番号一番、相田吉宏から始まって、一人一人が緊張しながら各々の抱負であるとか、好きな食べ物、スポーツであるとか、必死の(少なくとも私にはそうみえたのだが)自己アピールを続けていった。私はそのような場面においては、必ず序盤の妙な高揚とも終盤のトリの役目にも無縁な広田という苗字を有していたため、全くといっていいほど無難にその場をやりすごすことができた。そして私はその直後、人生で始めての畏怖(この感情につけられた名はあとになって知ったのだが)を覚えたのだ。
 彼は、まさしく彼であった。自分が世界の一部であることの「当然さ」を、彼はあますところなく知っていた。それは知ろうとしてのことではなく、ほとんど生まれついてのものだった。
 
 「藤田 (しずか)です。北中出身です。よろしく。」
 彼のそのときの言葉はまったくこれだけであった。言葉だけを見ると全く凡庸な多少人見知りの少年の自己紹介である。しかし私は彼の容姿や立ち姿、声の調子、表情、全てから確かに畏怖を感じとったのだ。いうなれば魂の形、あまりにも無防備な、さらけだされた、悲劇的なほどの「美しさ」を目の当たりにしたのだった。そして彼はスタスタと私の後ろの席へ戻ってきて、ふっと短い溜め息をついた。私の額を冷たい汗がながれていたことをはっきりと覚えている。
 
 ある春の日のことだった。陽射しは形だけ夏の格好をしていて、春の淡い色合いの空気のなかをやんわりと漂っていた。私達は中学三年生になっていた。校庭の周囲に立ち並ぶ桜が、私の教室から全て見渡すことができた。鮮やかすぎるほどの緑は、どこかしら退屈そうでもあった。そのとき彼は私の隣の席で、つまらなそうな顔をして先生の話を聞くともなく、眺めていた。その日の授業が終了し、宿題のプリント、ノート、教科書などをかばんの中にしまっていると不意に彼が声をかけてきた。
「ちょっと、さあ、遊びに行かない?」
二人で放課後に街をうろつくのは私達にとって珍しいことではなかったので私はその申し出を別段気にもとめずに承諾した。(というのも私は部活動もしておらず、毎日家と学校を往復する無気力な中学生だった)しかしその日の彼は少し違っていた。普段の私達の会話といえば、成績の話、学校での人間関係の話、テレビの話など、少し耳をすませばどこでも聞かれるような話がほとんどだった。そのようなとき彼は、およそ純粋な日本人とは疑わしいほど厳格に透き通った鼻筋の下の清潔な口元に、鮮やかな微笑を浮かべた。完全さ、を象徴するかのような美しい目は品のよい大きさ、バランスを保っており、それが微笑に細められたときには純粋な涙を流した後のような麗しさがあった。
 その日は彼が切り出した話の内容からして違っていた。
 「僕は世界を少しだけゆっくり動かすことができるんだ。床と自分の間くらいに焦点をあわせるだろう?そしてじいっと集中するんだ。ほんとなんだって。」
 私達が駅のホームに立っているときに彼はその言葉を口にした。私は話の内容から彼の意図が全く読み取れなかったので思わず黙って首を傾げた。おそらくそのときの私はひどく間の抜けた顔をしていたことだろう。しかしその言葉は確実に私の心の根底を揺するだけの力を持っていて、そして真に感動した人間は必ず一瞬、間の抜けた顔をするものだ。彼は続けた。
 「人間誰でも自分だけは特別だって思っているだろう?でも今僕がいったことをそれと同じとは思わないで欲しいんだ。これは全ての生物に共通する能力なんだよ。つまり僕は時間っていうのはあらゆる生物のもつ〈速さ〉の重ね合わせだと思うんだ。そして僕が自分の速さを強くイメージしたとき、僕の場合は、少しだけ世界はゆっくり動くんだ。」
彼はそれだけ言ってしまうと熱っぽく潤んだ目を少し上げた。ちょうどホームの正面から陽が射していたのだろう。彼の口と右の頬、そして右目の半分ほどが午後の日に照らされていた。頬の張り出した部分は日を反射して白っぽく輝いていた。彼は線路の方へ向き直った。影と光の間でゆっくりと体の向きを変えたとき、彼は、おそらくそれまでに私が見た彼のどんな姿よりも、赤裸々であった。影は今ちょうど彼の瞼の上を横切って、うなじへ向かい真っ直ぐな線を引いていた。彼の光の当たっている部分と空気との間にわずかな隙間があって、そこに染み入った光が輝いているように私には見えた。
 「そして恋も、恋っていうのは誰かの〈速さ〉が他の誰かの〈速さ〉に影響を与える、良いにしろ悪いにしろね、そういうものだと思うんだ。」
 
 私達の学校は普通の共学だったので付き合っている男女は一部いたが、少なくとも彼と私はそれまでそういうこととは無縁だった。彼と恋愛のことを話すことはしばしばあったが、それは常に抽象的で恋愛「論」とでも呼ぶべきものであり、だいたいは映画や小説の受け売りであったり、その逆であったりした。当時の私達にとって否定することはそれだけで立派な定理であり、崇高な論理であった。私達が否定することの非生産性に気付いたのはそれから数年あとのことだった。とにかく私はそれまで彼と具体的な相手をテーマに恋愛の話をしたことがなく、私は続く彼の言葉に正直言ってとまどった。
「僕、好きな人が出来たみたいなんだ。」
その瞬間、彼の体は確実に彼の精神と溶け合っていて、人間としての輝き、つまり不完全さをその体に宿したように私には見えた。そしてそれこそが今日私が感じていた違和感の正体だった。
 
その日私達は町をふらつきながら彼の恋愛について長々と語り合った。彼はいつに無く快活にすべるようにしゃべっていた。少年が少年らしい快活さを得るためには恋が不可欠である、と私は思う。恋をすることによって少年は初めて自分の中の男性を自覚し、またそれの発現を強く望むようになるからだ。快活さは少年期特有の生命の輝きであり、恋によってその輝きを得た少年はその輝きをもってまた新たな恋を引き寄せることになる。彼の恋した相手は私達の学校の中でも五本の指に入るほどの美人だった。当時特に恋に関心が無かった私がそう思っていたくらいだから相当な美人だったのだと思う。あいにく私は他人の顔を覚えるのが苦手で彼女の顔をはっきりとは覚えていない。名前は幸田文子(あやこ)といって私達の隣のクラスだった。彼と彼女の接点が私には謎だったのだが、その謎解きは問わずとも彼から流れ出てきた。彼はよく図書室で本を読んでいた。その多くは誰も見向きもしないような昔の小説で、彼はよく一冊の本を擦り切れるほど何度も読み返していた。そして彼女は図書室の受付だった。二人の交わす言葉は日によって多かったり少なかったりした。後日私は好奇心から図書室に足を運ぶようになったが、彼の話す言葉に対する彼女の相槌はいつも短く、そして正しかった。彼はそんな彼女の知性と美しさを好きだと言った。そして彼は何度も次の言葉を言った。
「一番好きなのは彼女の〈速さ〉だと僕は思うんだ。彼女の言葉の長さとその音色が僕の中の何かにゆっくりと染み込んでくるのがわかるんだよ。話しているときの彼女の目は必ず僕かその少し後ろを見ていて、その視線が捉える先の時間を確実に支配してるんだ。なんていうか、そのとき僕は彼女の時間のなかを泳いでいるというか、漂っているというか、そんな感じがしてすごく心地いいんだ。」
 
その日から彼と私の生活は少しだけ変わった。私は彼と二人でよく図書館に行くようになった。全く隠すところなく恋をして輝いている彼を見るのは楽しかったし、私を交えることで彼と彼女の会話も少し弾んでいるようだった。(もちろんこれは私の自惚れであるかもしれない)先にも述べたように彼女の言葉はいつも短く、そして美しかった。あるとき彼がいつになく熱くなって語ったことがある。
「死ぬっていうことはそんなに簡単なことじゃないと僕は思う。死が単に生きることの終点だとは思わない。例えば死ぬことによって自分の生きた証を残そうとする人もいるし、死を意識することによってより良く生きる人だっているだろう?死というものが人間の存在意義におおいに関わってくるからこそ他人を殺すことは許されないし、また人は簡単に他人を殺すことができないんだよ。」
「うん」
そう一言だけ彼女は言った。
どういう話の流れだったかは覚えていないが、そのときの彼と彼女の言葉とそのときの情景だけははっきりと覚えている。夏が近づいていたせいか放課後の図書室には強い光が射し込んでいて、ちょうど影になっていた彼の座っていた場所は薄暗く見えた。そのせいか彼の表情にも影が在るように見えた。しかしそれは、あの事件を経験したあと私が付け足した印象であるかもしれない。それと対照に開け放った窓のそばで彼女は全身に光を浴びていて、夏の強さをようやく思い出した光のもとにあらわになった彼女の繊細な目元は、柔らかく微笑んでいた。彼女のことが好きだ、と私は思った。もちろんその感情も、後に私が付け足した感情であるかもしれない。しかしその感情を抜きにしても、彼女と、そして彼女の言葉は正しく美しかった。言葉はときとして風景さえも美しくする。
そして夏が始まった。その年の一学期の終業式が相変わらず退屈だったかどうかはわからない。式典にうんざりしていた私はその年の終業式を欠席したからだ。そして二学期の始まりに終業式の話をする中学生は日本中探しても一人見つかるか見つからないくらいのものだろう。終業式の日、彼が私の家を、全く受け取る必要も意味も無い数々の書類を抱えて訪ねてきた。中学生の夏休みというものは想像を絶する程退屈だ。私と彼はそのなかでも一層退屈な夏休みを過ごしたといえる。私達は先にも言った通り部活をやっていなかったし、暑いなか毎日外や体育館で汗を流す奴等の気持ちが今でも私は不思議で仕方が無い。またお互いに成績は中の上くらいをキープしていて、自宅から一番近い公立高校以外を目指す気持ちもさらさら無かった。そして何にもまして私達は無気力だった。しかしその年は少しだけ違った。というのも彼が私の家にやってきた本当の理由は、夏休みの計画(この言葉を使ったのはこの年が最初で最後だったかもしれない)を私に打ち明け、そして話し合うことだった。
「今年の夏はさあ、二人でどこか行かない?」
僕たちはその年の夏、とても暑く、そしてとても眩しい、旅をした。
 
中学三年生の二人旅をなぜお互いの親がすんなりと許可したのかはいまだにわからないが、恐らく私達のこれまでの無気力な生活を多少なりとも憂慮していたからではないかと思う。驚くことに私の親がわざわざ宿の予約までしてくれたのだ。そういうわけで私達の旅の準備は滞りなく進んだ。私達の行き先は県内の海に面した温泉町で、私達の住む町からは電車で一時間ちょっとの所にあった。海岸沿いに一車線の国道が走り、それに沿って何軒かの温泉宿がそのくたびれきった煙突から白い湯気をあげている、そんな町だった。海岸は遠浅の広い砂浜になっているなかなか良いビーチで、そのため毎年夏になると家族連れでそれなりに賑わった。今考えるとそんな中にいる男子中学生の二人組はなかなか異様に見えただろう。私達はお盆も過ぎた八月の終わりを待ってそこへ行くことにした。その前に夏休みの宿題を終わらせてしまおうと珍しく思い立った私は八月に入るとすぐ宿題に着手したが、二日半をかけて半分程度を終わらせ、飽きてしまった。そして私は夏休みの宿題を半分以上やったことが無い。だから私には毎年夏休みの宿題を完璧にこなしてくる奴が聖人のように見えたものだ。いったいどれほどの精神力があればあの宿題を完璧にこなせるのか私は今でも想像がつかない。そして退屈な毎日はあっという間に過ぎて私達は旅に出た。
夏の終わりの温泉町には特別な空気がある、と今でも私は思う。(私はこの旅を経験して以来夏の終わりに温泉に行くのが好きになった)夏も完全に熟しきって暖まった空気が充満しているので、温かい水が地面の下を流れているのを簡単に想像することができる。夏の始まりから勢いを全く弱めていない太陽の光は、漂う湯気の間をしばらくさまよってから、その熱を奪ってゆっくりと地面に降りてくる。少し古くなった建物も湯気をたくさん吸い込んでいる気がして私はとても好きだ。私達がその夏訪れた町は海が近かったこともあり、一層特別な雰囲気を持っていた。その町を照らしているのは太陽では無く、海だった。正確には太陽の光をうけた海があまりにも眩しく輝いていて、町を明るくしていた。砂浜は乾いているようでいて海との関係を密接に保っていた。そこからほんの2mほどあがっただけの国道のアスファルトは所々ひび割れていて、それは海への永遠の憧憬だった。潮の香りは温泉町の空気にあまりにも自然に溶け込んでいて、空気には海と陸との境界はなかった。正午を少し過ぎたころに海岸沿いのホテルに着いた私達は簡単に昼食を済ませてからすぐ海へ向かった。お盆を過ぎた海は人影もまばらで、私達はかなり自由に行動することができた。私は浮き輪の上にのって波に揺られていただけだったが、彼は何度か一人で沖の方へ泳いでいった。遠目で見ても彼の美しさは特別で、周りに人がいないぶん彼の、いわば絶対的な美しさを私は見て取ることができた。天気がとてもよく陽が絶え間なく流れるように降り注いでいて、一見すると海の中を泳いでいるのか、光の海を泳いでいるのか私にはよくわからなかった。遠くの光を眺めているとだんだん視界がぼやけてきたため、私は一度深く海の中へ潜った。ぐっと下へ潜ると海底近くの水はひんやりと冷たく、秋は海の底から上がってくるのかもしれない、と私は思った。
 
陽が傾いてきたところで私達は海から上がった。夕食までの時間を窓際の椅子に並んで腰をおろして過ごした。なんとなく喋る必要もないと感じた私は黙って海を眺めていた。私は沈黙が嫌いではない、喋ることが無いときはただ黙っていればいいのだ。喋りたいから喋ることと、黙っていたいから黙ることとの間にどれほどの違いがあるというのだろうか。沈黙は会話の一部(もしくは会話は沈黙の一部)だ。それを本当の意味で理解していたのは、私のこれまでの人生の中では静と文子の二人だけだった。特に静と二人でいるとき、私は会話を楽しむのと全く同じレベルで沈黙を楽しむことができた。それはやはり静の言葉を借りるならば私達の持つ〈速さ〉のおかげだったといえるだろう。私は、相手の言葉を自分の頭の中で反芻するのと同じように、私と彼との間(そしてその周り)を流れる時間を反芻することができた。その沈黙が時間をかけてゆっくりと熟成されたかのように、彼の言葉が静かに流れ出してきた。
「あれ見てよ」
「どれ?」
「左のほうのさ、なんかすごく派手な女の人」
「あのオレンジの?」
「うん」
その女の人は連れの男と何か言い争っているようだった。
「あの人がどうかした?」
「いや、きれいな人だなあと思って」
その女の人は確かに遠目から見ても洗練された雰囲気を持っていた。しかしその立居振舞にはどこか演技がかった優美さがあって、彼が好むタイプの美しさではないように私には思えた。
「あんなのが好きなんだ?」
彼は普段そのように他人に対して自分が持つ印象などを語ることはほとんど無かった。私はそれが心に引っかかったため、冗談めかした調子で彼に聞いてみた。
海を見つめて微笑んだまま、彼は首を傾げて黙っていた。少しの間考え込んでいた彼から彼の時間が流れ出してくるようで、私はその五秒か十秒の間妙な高揚と陶酔を覚えた。
「嫌いじゃ無いな」
少しはにかんだような笑顔で彼は言った。その言葉には刹那的な、艶かしさがあった。とても明るい午後だった。明るすぎたためかどうかはわからないが、白っぽい靄がかかっていた気がする。(もちろんそんなことは有り得ないことだ)記憶というものは年月とともに感光してしまうのかもしれない。瞼の裏で現像される度に。
 
その夜彼の提案で私達は砂浜へ向かった。並んで歩くと彼は私より10cm近くも背が高く、手足は伸びやかに発達していた。骨格の成長に筋肉の成長が追いついておらず、ほっそりとした成長期特有の体つきをしていて、それでいて日一日とその体は成長していた。並んで歩いていても彼の筋肉の成長が見て取れるようで、夜の暗さのせいか、彼の体におさまりきれていないエネルギーが静かに滲み出しているようにも見えた。夜の砂浜には人影が見当たらず、私達は国道から砂浜に降りてすぐのところに腰を下ろした。彼はあぐらをかいてその両膝に手を乗せていた。彼の手足は大きく指も長かったがその作りはとても繊細で、どこかしら女性らしさを感じさせるところがあった。私達は飽きることも無く海を眺め続けながらたくさん話をした。私はそこで思いがけない彼の告白を聞いた。
「実はさ、俺文子と付き合うことになったんだ」
「え?」
「うん、だからさあ、告白したんだよね。」
「よかったじゃない」
「本当にそう思ってくれてる?」
「当たり前じゃん。でもびっくりしたよ」
「何が?」
本当に不思議そうな顔で私のほうを見たので、私は思わず吹き出してしまった。
「何がってお前が告白するとは思わなかったからさ」
「前から決めてたよ」
「いつから?」
「好きになったころから」
「そっかあ、でもほんと嬉しいよ」
それはお世辞でも誤魔化しでもなく、私の本心だった。私は彼と彼女と、三人で過ごす時間がたまらなく好きだった。私達はよく三人で放課後を過ごしたが、そのようなときその空間は二人の間で既に完成されていて、実際のところ私はその場にいても遠くから眺めているだけでもどちらでもよかったのだ。だから私にとって二人が特別な関係になることは非常に喜ばしいことであったし、またそれが当然のことであると心のどこかで思っていた節もある。私も文子のことが好きだったが、とにかくそのときの私には嫉妬や落胆という感情は全く無かった。(あるいはそのころの私にはまだ本当の意味で人を愛する能力が無かったのかもしれない)そのあと何かのタイミングで会話が止まる度、ありがとう、と彼は何度も呟いた。月が私達のちょうど正面の空に浮かんでいて、静かな光を訴えかけるように私達に投げかけていた。その光にはどこか私達をからかうような、―――ちょうど親が小学生の子供を微笑みながらからかうような―――そんな優しさがあった。月の光を受けた彼はそのとき全てを手に入れていて、そして全ての祝福に包まれていた。その夜の彼に私は生の究極を見たような気がする。そしてそれは幸福な死、に良く似ていた。棺の中で花束に包まれた幸福な死者は全てを持っていて、そして全ての悲しみと愛に包まれている。私が彼女のことについてどれだけ聞いていいものか思案していると一人の女の人が砂浜へ降りてきた。私達がちらっと目をやると彼女はこちらを向いてにっこりと微笑を返してきた。そのどこか演技がかった仕草から私はすぐにその女の人が昼間部屋から見た女の人であることがわかった。彼女はゆっくりと私達のほうへ近づいてきて、こんばんは、と話し掛けてきた。私達が挨拶を返すと彼女は立ったまま海のほうを向いて、伸びをしながらゆっくりと喋りだした。その動きや声は明らかに聞く人、見ている人を意識していて、見せるための、外の世界へ意識的に発信された美しさを持っていた。それは静や文子の持つ美しさとは全く対照的なもので、意識して接近しようとしなくても自ずとそちらから近づいてくる種類の美しさだった。
「このまま死んじゃおうかな」
独り言のように彼女は呟いたが、それは役者の舞台上での独り言だった。
「何かあったんですか?」
静が話し掛けた。
「彼氏と喧嘩しちゃってね、なんかいろいろ嫌になっちゃった。まその彼氏っていうのがひどいやつで浮気はするし我が儘で適当で頭悪くってどうしようも無い奴なんだけどさ、それでもやっぱりこっちはちゃんと付き合いたいわけよ。どこが好きって言われてもよくわかんないんだけどやっぱり一緒にいると楽しかったり居心地がよかったりしてさ。そういうのってなんか不公平じゃない?私だけがなんだか悩んで馬鹿みたいに泣いてさ。もう彼が何考えてるのかとかどうしたいのかとか全部わかんなくって。私がどれだけ努力したって彼は私のこと全く理解してくれて無くて、そんなこと考えてると私も彼のことなんてホントは何にも知らないんじゃないかって思えてきて、それなら私のこの二年間は何だったの?とか私は何を知ってて何を知らないの?とか私がいなくなったらどうなるの?とかくだらない質問がたくさん浮かんできちゃって。もちろん何がくだらなくて何が有意義なのかもよくわからないんだけどさ。もう死んじゃえば全部すっきりするかと思って。」
静は何も言わずに微笑んでいた。私は何か言わなければいけない気がして口を開いた。
「あなたが、その人に何をされたのか知らないし、何をしてあげたのかもしらないけど、あなたは何だか本当の自分っていうか、とにかく自分を全部さらけ出そうと、触れてもらおうとしてないような感じがしますよ。あなたはすごくきれいな人だし、見ていて引き込まれるくらいの感じもするけど、遠いっていうかどうしても触れて感じることができないような、大事に展示されてる宝石のような、うまく言えませんけど。」
私は静との会話で気分が高揚していたせいもあって一気にこれだけのことを喋った。
「自分を箱に入れて展示してるって面白いわね」
彼女はこちらを向いてにっこりと微笑んだ。
「でも二十歳にもなるとね、そういうことは自分でも本当に悲しいくらいよくわかるの。自分の今までの二十年間と、そしてこれから先の人生がだんだん見えてきて、そうすると自分のことも本当に良く見えるようになるの。でも見えたからといってそれは自分でどうしようもできないことなんだよね。私達は関係性の中で生きていて、あまりにも多くのものに縛られてるから。囲まれすぎてるから。私が入ってる展示ケースを壊すってことは、私の周りにあるいろんなものや、たくさんの人たちを一つ一つ壊していくことなんだ。それは私にとっては私と両親と友達みんなの全財産と命を賭けてインディアンポーカーをやるくらい怖くって、そして難しいことなの。インディアンポーカーって知ってる?世界で一番純粋でくだらないゲームよ。」
彼女は自嘲気味にふふっと笑いながら話した。静はそんな私と彼女とのやりとりを相変わらず微笑んだまま聞いていた。
「そういう生き方って、とても素敵だと思います」
しばらくしてから静が急に言った。今までに聞いたことの無いほど強く、よく透き通った、洗練された声だった。私と彼女のそれまでの会話はこの一言を導くために用意されたものであったかのような、それほどまでに圧倒的な存在感だった。ありがとう、またね。そういって彼女は砂浜から国道の方へ戻っていった。私はひどくみじめなような、悲しいような気持ちになっていた。静があまりにも美しすぎたからだった。きっと彼の魂は彼女のそれとは全く違っていて、描き表すことができるとするならばそれは、光にも似たエネルギーの渦、集合で、何に守られることも無く、何を傷つけることも無く全く当たり前にこの世界に存在していた。彼の存在、魂は砂浜の砂や、砂漠のオアシスや、夏の夕方の雨よりも自然で美しかった。それから私は海を見つめる彼の横顔をほとんど直視することが出来ず、一緒になって長い間海を眺めていた。私は、私の世界から静が消えてしまうなどとは夢にも思わなかった、そんな想像は不可能だった。
 
そして間もなく夏休みは終わって新学期が始まった。このころは夏休みが二ヶ月あればどんなに幸せなことかと思ったものだったが、大学生になって実際にそれを体験してみると「二ヶ月間の休み」はほとんど禅寺での修行のようなものだった。私達三人の生活は少しだけ変わった。私が図書室へ行くのは週に二三度になったし、静と文子は急速に仲を深めていった。何かの折に文子と二人きりになったとき文子から、実は随分前から静のことが好きだったことを聞いた。そんな彼らを見ているのは相変わらず楽しかったし、彼らがその見た目の美しさから学校の中でも有名なカップルとなったことが何故か少し誇らしかった。彼らは学校に来てから家に帰り着くまでの間の、かなり多くの時間を一緒に過ごしていた。彼らの会話はいつも短い言葉のやりとりだった。
「そろそろ帰ろうか」
「もうちょっと」
「十五分くらい?」
「うん」
私達は日曜には三人で出かけたこともあった。買い物にも行ったし、散歩もしたし、ただなんとなく街中を三人でふらついたりもした。それがどんな目的、どんな日和であっても変わらず私は楽しかったし、私達の話題は決して尽きることが無かった。彼と文子は手をつなぐこともなく、ほとんど触れ合うことが無かったが二人の間の微妙な距離は接触よりも親密なもので、そこには確かな信頼、愛情があった。その距離は彼らを分かっているものではなく、むしろその距離を介して彼と彼女は繋がっていた。そして帰り道で私は必ず彼らと別れ、静は文子を文子の家の近くまで送っていった。彼らが付き合い始めてから私は一人で帰るようになった。
最も大きく変わったのは、私達が三人で過ごす図書室での時間だった。私の顔には常に笑顔が絶えなかったし、静と文子はその顔にいつも微笑をたたえていた。私達の間を流れる時間は日をおうごとに匂いやかになっていって、それは深まっていく秋に見事なまでに対応していた。果実が夏の恵みをその体に宿し甘い香りを放つように、稲穂が豊満に実るように私達の青春は熟れ、輝いていた。その年、夏の陽射しは信じられないくらいゆっくりと勢いを弱めていって、十月の半ばにやっと秋が訪れた。図書室は学校の最上階にあったので窓を開けると緩やかな風が流れ込んできてカーテンを揺らし、私達三人の時間を控えめに彩っていた。気温が下がるに連れて、彼と彼女の笑顔はどんどん眩しくなっていって、去っていく夏への当てつけのようだった。毎日はあまりにも滑らかに、完成された音楽のように進んでいった。その年の二学期の始まりからの二ヶ月は、これまでの二三年間の人生のなかで間違いなく最も素晴らしい月日だった。しかし今となってはその美しい日々の記憶の所々に私は暗い影を見つける。あるいは静に関する全ての記憶のうちにもそれを見出す。
 
秋も深まり、夜や朝には冬が顔を出すような、そんな日のことだった。
 
彼は自分の父親に刺された。経営の立ち行かなくなった零細企業の社長が一家を道連れに無理心中を図る、というニュースは最近では特に珍しくも無いかもしれない。しかし彼の場合特別だったのは、誰も死ななかった、ということだ。私はその事件をまず朝のニュースで知った。新聞、テレビ、噂など集められるだけの情報を私は集めた。深夜帰宅した父親は真っ直ぐ台所へ向かい、まず夫婦の寝室で寝ていた妻を刺した。次に静の部屋に行き静を、そして彼の九歳になる妹を刺した。父親はそのまま五階だった自宅の窓から身を投げたが、刺された直後に母親が通報していたためすぐに救急車が駆けつけ、彼の父親も、その家族も一命を取り留めた。そして彼の父親だけが、意識不明の重体となって集中治療室に入った。私は必死になって担任に彼の入院している病院を聞いたが教えてもらえなかった。文子だけは彼の入院先を知っていて毎日見舞いに行っていたらしく、その事件以来放課後の図書室から静と文子の姿は消えた。そして秋の図書室に私は一人取り残された。私は毎日図書室の窓からグラウンドを眺めていた。校庭の桜はただ春を待って眠っていた。私の世界から多くの色が失われたことがはっきりとわかった。
 
十二月に入って彼が学校に戻ってきたとき、彼は少しだけ痩せていて顔には暗い影が宿っていた。真夜中の雨空のように暗く、そして重い影だった。私達三人は久しぶりに図書室で顔を揃えた。彼は無理に笑顔を作っていたがその表情は彼の苦悩と痛みをあからさまに映し出していた。さらけだされた彼の魂は深く傷ついていてそれでもなお無防備だった。彼は生きるという言葉をよく使うようになり、そしてそのあとに必ず涙を流した。
「生きることと死ぬことの違いがよくわからないんだ。そもそも生きるってことが僕にはよくわからない。意味とか目的とは違うんだ、ただ生きるっていう言葉自体の意味がよくつかめないんだ」
彼がそんなことを言い出すとすぐに文子が彼を連れて帰った。文子もよく泣くようになった。あまりに純粋な魂はそれに触れる人を、その純粋さゆえに傷つけ、悲しませることになること私はそのとき知った。彼女は彼に本当に献身的に寄り添っていたが、そこから彼の傷が癒されることはなかったようだ。しかしその傷口から彼女は彼の中へ、そして彼は彼女の中へ入っていって、それは彼の心の傷ついていない部分を十分になだめた。彼の受けた傷は深く、そして大きいものだったがゆっくりと時間をかけることで彼は自分の力で立ち直っていくだろうと私も文子も思っていた。
 
 
 
しかし大きすぎる時間の流れは私達をゆっくり動かし始めていた。二学期の終わりの終業式、よく晴れた日のことだった。冬にしては明るすぎるな、とその日の朝思ったことを覚えている。終業式や大掃除を終えて、全員が学校を去ったあとも私は一人で教室に残っていた。教室の中央の席に座ってぼんやりと黒板を眺めていると、その日学校を欠席していた静がやってきた。そうだった、私は何故かそこで静を待っていなければならないような気がして放課後の教室に残っていたのだ。彼は何も言わずゆっくりと窓を開け、桟に腰を下ろした。強い光が教室に射しこんでいて逆光になっていたはずなのになぜか静の表情、瞳、顎のライン、前髪の流れ方、詰襟の中のカラー、ボタン、足の置き方、指の動き、感情の流れ、全てが鮮明だった。そこから私達は小一時間ほど会話をかわしたはずなのに私は全くその内容を覚えていない。彼の姿が目に入るたびに流れ落ちてくる冷や汗の感触はいまでも強烈に残っている。―――目を合わせたらダメだ―――、そう思いながらも私は彼のほうを見ずにいられなかった。それほどその日の彼は強く輝いていて、海岸線に沈んでいく夕日のように私の視線を引き寄せていた。その日の彼の姿はそのまま、彼の魂の姿だった。深く傷ついてしまった少年の心はその瞬間少年の形をとっていて、美しい完成された目や、腋から腰にかけての制服のラインや、肩口から射しこんで来る冬の冷たく堅い光や、そして教室を流れている時間―――彼の〈速さ〉―――は、全て彼の魂の目に見える姿だった。彼は明らかにある強い衝動を持っていて、それは既に、この教室に彼が現れたときから始まっていた。私は完全に彼の〈速さ〉にとらわれていた。そして抗し難い力を感じて彼の目を見つめた。
 
「バイバイ」
 
彼は少しだけ、ほんの少しだけゆっくりと窓の外に落ちていった。彼のいた空間には既に冬の光が流れ込んでいた。
 
 彼は死ななかった。翌日の新聞には彼の死亡記事ではなく、彼の父親の死亡記事が掲載されていた。前日の朝、意識を取り戻すことなく亡くなったのだった。一面を飾っていたのはどこかの国で誰かが何かを起こした記事で、彼の父親の記事は、その10分の1にも満たない小さな記事だった。そして彼は二度と私達の学校へ戻ってくることは無かった。
 
 なぜ、彼のような美しい魂が傷つけられなければいけなかったのだろう。あるいは彼の魂があまりにも曝け出されているための必然的な傷だったのだろうか。彼の「自然さ」は自らの心の向くままに行動する、というような身勝手なものでは決して無かった。むしろ彼は周囲に気を配りすぎるようなところがあったし、卑屈になることもあれば、自暴自棄になることもあった。彼は普段多くを語らなかったが、私と文子の前では時折驚くほど多弁になった。私が最も悲しかったことは、あの事件のあとも静が変わらず美しかったことだ。いや、彼はむしろその美しさを一層研ぎ澄ましていた。彼はその心に深い傷を負い倒れながらも、必死にそこから立ち上がろうともがいていた。彼の澄んだ目尻から頬を伝って流れ落ちる涙は完璧なまでに美しく、そのことが私の心を痛くした。なぜ彼は傷つけられなければならなかったのだろう。そしてなぜ彼は美しいままでいなければならなかったのだろう。彼は実の父に刺されながら、なおその父と共に歩んでいくことを望んでいたのだ。本当に心から父を愛し続けたのだ。そして生は二度に渡って彼の心を傷つけた。美しいものがなぜ傷つき、そして尚も美しいままでありつづけなければならないのか、私は今でもこの問いの答えを見つけることができない。
 
 
 
 私の話をしようと思う。私と文子は同じ高校へ進んだが静がいなくなってから疎遠になり、たまに学校で偶然会っても静の話は絶対にしなかった。高校二年生の夏に、由紀という名の彼女ができたが、卒業を機に別れた。別れてみるとなぜ付き合っていたのかが全く分からなかった。そして私は東京の大学に進み、一年生の夏から陽子という同じ大学の子と三年間付き合った。背が低くとてもかわいらしい女の子だった。そしてとてもシンプルで、とても良い人だった。彼女は私のことをとても好きでいてくれた。「あなたの事が好きだし、きっとそれはこれからも変わらないか、あるいは大きくなっていくだけだと思う。」と彼女はよく言っていた。そしてそんなときに私は必ず「君の今の感情はとても嬉しいし、僕も出来る限りそれには応えるけれども、先のことは誰にも分からない。だから将来心変わりをしたとして、君が自分の過去の感情に責任を負う必要は全く無い」という主旨のことを言った。彼女はそれを私の優しさととっていたがそれは見当違いだった。結果的に私は彼女からふられたのだが、それが無ければ私が今も彼女と付き合っていたかどうかはわからない。彼女は別に男ができ私をふったのだが、別れ際に何度も「ごめんね」と言った。私は「君が謝る必要は無い、いつも言っていたように君が自分の感情に責任を負う必要は無い」と言った。実際のところ私は彼女が謝る理由が理解できなかった。世界には必ず移ろうものとそうでないものがあって、感情は移ろうものに属している。記憶は―――記憶は恐らく、後者だろう。
大学に入って最初の夏休みの終わりに、私は地元の大学に進学した文子に一度だけ会った。私達は食事をしてから、免許とりたての私の危なっかしい運転で夜の海に行った。どうしても海に、夏の終わりの海に行きたかった。相手こそ違うが、私達はあの夏と同じように砂浜に腰をおろしてたくさん話をした。あと三日ほどで満月になるであろういびつな月が平坦な空に張りついていて、光がじんわりと夜空に染み出していた。あたかもそれとは無関係であるといわんばかりに海は明るく、活動的に輝いていて、それは明滅する無数のダイオードのように見えた。科学は自然への永遠の憧憬、執着なのだと私は思った。長い時間をかけて私達はたくさん話をした。文子の横顔は半年ほど見ないうちに更に美しくなっていて、月光を受けたその表情のおおらかさに私は何度も息をのんだ。私は彼女を愛している自分に気がついた。それは遠い昔から、出会ったころから持っていたような懐かしい感情でもあったし、また今でも決して消えることはありえない。
「静は今、何をしてるだろうね」
私は真っ直ぐ、海を見ながら言った。
「さあねえ」
彼女の相槌は相変わらず短く、そして正しかった。海を見つめる彼女の視線の先には間違いなく静の姿が会った。それは過去に捉われ、十五歳のままでいる静の姿を自らのなかに探しているのではなく、今もどこかで生きているであろう静の現在を真摯に思いやっている視線だった。きっと彼女は永遠に静を愛し続けるだろうし、私は永遠に彼女を愛し続けるだろう。それでいいのだと私は思う。ある種の愛は行為と本質的に無関係でありうるのだ。そして私も文子も、そして恐らくは静も、大き過ぎる時間の流れの中をゆっくりと「自分」という乗り物に乗って進んでいく。それはいつのまにか私達の足元や体じゅうを覆っていて、両親や、友人達や、同僚や、過去などのあまりにも優しい私の周りのもの達と、あまりにも脆く薄い私の心から作られていた。私はこれを引き裂いて時間の流れに身を任すことはできないだろう。そう思うとあの夏に砂浜で会った女の人の言っていたことを思い出して、たまらなく悲しくなる。今も、この瞬間でさえも、私は静や文子から遠ざかっている。そして永遠に遠ざかっていく。私はそれをどうすることもできない。
 
去年大学を卒業した私は東京で銀行に就職した。毎日職場を飛び交っている紙幣や、ディスプレイのなかでめまぐるしく動く数字を見ていると、私はゴミと金の違いが良く分からなくなることがある。毎日変化も無く、東京を好きになることもできないが、月に一度ほど部屋でビールを飲みながら静のことを思い出す。彼の容姿、彼の言葉、彼の〈速さ〉を、何度も、何度も。「僕は少しだけゆっくり時間を動かすことが出来るんだ」という言葉が私は一番好きだ。その言葉を思い出し口の中で呟くだけで静の全てを思い出すことができる。彼の美しい顔、声、表情、繊細で伸びやかな手、図書室で笑っている彼と文子。夕日を反射して、窓から吹き込む風をうけて輝き揺れる艶やかな髪。カーテンの揺れるリズムが教えてくれる彼の〈速さ〉。深い傷を負いながら、それでも正しく生きようとした彼の悲しい笑顔、涙。彼が吸い込まれるように消えていった冬の空と、誰もいなくなった教室に非情なほど優しく射しこんでいた冬の陽光。そしてそれに疲れると私は深く眠ることができる。
 
長くなってしまったが、こんなことを書く気になったのは今朝のことがあったからだ。今朝、私はとても不思議な、そしてとても懐かしい体験をした。
 
昨日の天気予報がみごとに外れて、まだ二月だというのにとても明るく穏やかな朝だった。駅へ向かう道のアスファルトもおもいがけない晴天にとまどっているように見えた。駅の改札近くでそれは起こった。先のほうに落ちていたビニール袋がふわっと舞ったときに、私は何かとても懐かしい感覚、とても些細なのだけれど考えれば考えるほど増幅されていく非常に懐かしい感覚、を覚えた。ふと思い当たって顔をあげると、改札を急ぎ足で過ぎていく人々はいつもとほとんど変わらなかったが、少しだけ、ほんの少しだけゆっくり動いていた。吹き付けてきた風も同様だった。光が大量に地面に降り注いでいて、それが地面に触れて跳ね上がる瞬間が目を凝らせば見えるくらいの速さだった。それは紛れも無く彼の〈速さ〉だった。私の知っている彼の〈速さ〉だった。(彼がどこかで生きている)そう思うと鼓動が速くなってきて私はしばらくその場で立ち止まった。高鳴る鼓動をどうにか抑えながらゆっくりとあたりを見渡すと、そこには喧騒が形となっただけの、いつもと変わらない街並みがあった。
 
〈了〉
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