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自分の内面を「形」にする ---投稿雑誌『Inside Out』ブログ since 2007/11/15
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プロフィール
HN:
川端康史
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1984/06/29
自己紹介:
『Inside Out』代表の川端です。
自分の内面を「形」にする。
こういった理念を持った雑誌である以上、私にも表現する義務があると思っています。
ここはその一つの「形」です。かといって、私だけがここに書き込むわけではありません。スタッフはもちろん作者の方も書き込める、一つの「場」になればと思っています。
初めての方も、気軽にコメントなど頂ければと思います。

mixi:kawattyan and Inside Outコミュニティー
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十一段階
                吉澤直晃

 
 
 一、動物園へ
 
台風一過に映える紺碧の空を見上げて気分一新、行ってきたるは東山動植物園。「この歳になって動物々々てヒくわ」な考えが頭を一瞬かすめたものの、童心に帰るのもまた一興、謹慎状態の暇を潰すのと合わせて二興ってもんで、何ぴとも我を止めることかなわじ。
「相変わらずだね」
「そちらこそ」
さて動物園から入り見物するにおいて、猿は寝ている熊も寝ている、はたまたアシカ、ペンギン、コアラやライオンに至るまで、総じて死んだ目をしている。元気に走り回るのは、もち肌光る幼稚園児のみ。この頃はそこらに放り出されているだけで楽しかった。そこかしこで聞こえる稚児の歓声、場違いに歩く二十歳、見向きもされないマイナーアニマル。
休憩を挟み植物園へ移動。「日傘ちょい持って」「応」「ん」「何すか」「似合わねー」「うっせ」。木々に囲まれた道をつらつら歩く。「うわー木漏れ日だ」もはや僕も餓鬼と変わらん。しばらく歩くと古風な家が見えてくる。建築資料、合掌造りの家。縁側、すりこぎ、刀台、樹液の染み出した大黒柱など明治々々。感心していたのに何故かデジタル薄型ワイドテレビが置いてある。ものっそい違和感。「最先端だ」「シュールだねー」。
順路を進むと花畑、結構しょぼくてげんなりし、再度の休憩を催す。森も奥へ至ると落ち着いた雰囲気で、野鳥の鳴き声もまま聞こえる。見ればカメラを携えたおじさんおばさんが、そこここでシャッターチャンスを狙っている。ピース「やめんか」隣から平手。やめんか、て、貴様。お茶を飲む。眠くなる。餓鬼どころか動物たちと大差ない。さすが秋、木陰の空気がようけ爽やか。
蜻蛉が浮かんでいる。立ち上がる。進む。コースを周りきって、温室で珍しい植物を見物する。様々なサボテン、曲がりうねって地を這うものまであり「キモい」。キモいと言われた彼奴らの胸中いかばかり。知らん。腹は読めん。人間でさえ難しいのに。でも、誰が来ようが何を言おうが立派に佇んでいるサボテンは偉い。
周りに関係なく生きる、それは動物園の畜生たちも変わらない。彼らの目的は生きて何をすることでもなくただ生きることである。だから、野生を捨て覇気を失い飼い慣らされて枯れ過ごす、あれで良いのだ。幸せなんだ。しかし人は彼らを憐み蔑み続けるだろう。
百獣の王の濁った瞳には、確かに僕が映っていた。
 
 二、お陰で風邪をひく
 
上京した。アパートの鍵を実家に忘れた、と。下宿への最寄駅、西葛西に着いた頃はとっくに日付が変わっていたので、管理人さんに事情を説明するのもはばかられた。してその夜は野宿である、と。どうしよう、と。と、ストリートミュージシャンが男女一組、ギターを手に歌っている。とりあえず近づいて座る。楽しむ。観客は僕を含めて四人。男女二人ずつ。そこへやってきてしゃがむは件の中年お二人さん。何を言っていたっけな。僕は上京そのままだったので、大荷物を持っていた。「邪魔だ」と怒られた。
「すいません」
「すいませんじゃねえっつの」
「ごめんなさい」
「んだと」
気に食わなかったのか胸倉を掴まれ申した。自然、顎が上がる形になるので僕は目の前の男を見下ろすことになるが、そこで「なめんじゃねえ」と来た。この方は自分のしていることがよくわかっていらっしゃらないのだなあ的な思考に陥り、笑い、「なんで笑う」と咎められた。
「邪魔なんですか」
「邪魔なんだよ」
「貴方たちは演奏の邪魔ではないのですか」
「あん?」
「ヘイじゃーま、じゃーま」
もはや僕も邪魔。というか馬鹿。ともかく顔を殴られ候。地面に頭をしたたか打ちつけ「これ小説のネタにならねーかな」おぼろげに考えたら僕の感性は「なりませんねえ」ぼやいた。そうすか。いつの間にか演奏が止まっている。本格的にすいません。
「ちょっと! 大丈夫ですか」
女性ミュージシャンが僕を抱き起こすなんとも情けない構図。体が動かない。テンプルをぶつけたらしい。仕方ないので視線だけ上げる。僕以外の男二人が中年たちと睨み合っている。残った女の子たちは強張った表情で後ずさりを始める。「警察を呼んできて、早く」男の客が叫ぶと彼女らすっ飛んでいった。遠くない場所に交番があった。「警察ゥ?」中年AかBか知らないが、素っ頓狂な発音をした。何で女の子を追わないんだろ、と僕は漠然と思案した。酔いが激しかったのか。他人を殴るくらいだし。聞こえる会話。
「俺らが何をしたって言うんだよ、コラ」
「殴ったじゃないですか」
「はあ?」
「この人を殴ったじゃないですか!」
 恐らく年下だろう若者に感心してしまった。僕などネタになるか云々を吟味しているのに彼らは本気で怒ってくれている。と、中年二人は相手を押しのけ、置いてあったギターを蹴った。そして、
「下手糞なギター弾きやがって」
 笑った。嘲った。嘲笑った。ミュージシャンカップルは揃って悲鳴を上げ、男の客は中年二人を引き剥がしにかかった。警察はまだ来ない。怒号が飛び交う。殴り合いになる。僕はここらから記憶が確かでない。漸う立ち上がって怒鳴ったはずだ。
「貴様ら」
 説教を始めた。説教しながら殴った。殴られた。歯の浮くような台詞。「夢」とかなんとか、立ち回っていたので単語レベルでの説教だったのだが、恐らく「貴様らには夢とか目標とか展望とかないのか。あんだろが。だったら、それら向かって進む人間を笑うな。胡乱な僕が殴られるのは僕の責任において許すが彼らを嘲るのは許さん。ひいては僕の拳を受けたまえ」という趣旨を口走ったのだろう。最後の一文が意味不明だ。そして邪魔の一端を担った僕が言うと説得力に欠ける。人に下等も上等もなく悪も正義もない。ただ売られた喧嘩を買っただけだ。違いといえば僕は中年たちを嘲らなかっただけ。嘲ったら同質であるので。仲間であるので。意気投合して飲みに行く。敵であるからには誠心を以って違わないと。誠意を以ってコロさないと。
警官が来て引き剥がされ、事情を聞かれた。結論を言えば僕らは無罪放免。肝心の、僕の相手は蹲っていた。二の腕を掴まれたときに睾丸いわゆるゴールデンな玉を掴んだからだ。ルールを破った僕は無罪。釈然としない。もう一人は、酔いが覚めたのでしょう、平身低頭で謝っていた。蹲っていない。男の客もルールは守っている。ごめんなさい。
そうしてこの一件は終わった。懲りない僕らは違う場所で宴を催した。敵が下手糞と言ったギターは上手かった。聞くと近くの音楽系専門学校へ通っているらしい。へえ、と相槌を打って、僕はゆずの「しんしん」をリクエストした。
 日が明ける頃、お爺さんが自転車で通りかかって僕を見、「凶相だな」と仰った。
「そうなんすよ、さっき絡まれたんすよ」
「だろ? 俺は人の面相を見る術ちょっと知ってるんだ」
「なるほど」
「そんな陰気な顔しててダメだ。笑ってみろ」
「こうすか」
「ちょっと違うが、笑った顔の方が全然いいよ、な? みんな」
一同は笑った。僕も口元を和らげたまま「口説いてるんすか」と言うと「馬鹿野郎。だから絡まれるんだ」。まことにその通りだなあ、と思った。太陽がお爺さんの顔を照らした。絡まれているといえばその時もまさにだったのかもしれないが、不快な気持ちは惹起されずじまいであった。
 
 三、キャラメル
 
 胸が痛い、物理的に。部屋を掃除する。本を棚に戻し山積みされた洋服を洗濯機に放り込み、ゴミをまとめて隅に置く。携帯電話を数日振りに開き、多くの方への迷惑を思い知る。その中に自己犠牲を訴えるメール。開けた窓から入る風のせいで空き缶が机から落ちる。
キャラメルを溶けるまで口中で転がす。床に雑巾をかける。埃が照れ笑いを浮かべる。フローリングが愛想笑いで阿諛追従の口上を述べる。甘味を噛み潰す、奥歯にすがり付く。西日が空に赤を溶く。
携帯が鳴る。予定を確認する。知らず知らずのうちにダブルブッキング、焦る、謝る、胸が痛い、物理的に。腹の中に澱の溜まる如き感覚、いつものこと、キャラメルを食べよう、もう一つだけ。遠くで布団をたたく音。
噛むか舐めるかで悩み、茶色の裸身を前にじっと佇む。自己犠牲メールを再度読む。健気で涙を禁じえないが、僕の目にない要の水分。唾が分泌、胸が痛い、物理的に。結局噛む。何もおいしくはなかった。楽しい人生。
 
 四、イマワ
 
 くるりくる首を回し午前九時の路地を堪能、しかる後たどり着く視線の先アスファルトに張り付くは虎猫の死体。内外が逆転し薄く潰れたそれは「異臭を晒し遺憾である」と言った。「お気の毒に」「さほどでも」「なぜゆえに」「常態ならばこの対面もあらじ」「ほう」「醜くければ世も美しく、死んでおれば嫉妬もない」。夜中に再びそこを通ると、綺麗さっぱり元の道。何もない。僕は亡き虎猫にイマワと名付けた。
 いつだったかの午前二時、終電を逃し高田馬場から西葛西へ歩いていた中途、永代橋から川下を眺めたことがある。揺れて水面きらり、立ち並ぶ高層ビルで灯が明々、どこかの大通りを走る車の音、僕は苛立ち歩き始めた、逃げるように。何から? 何かから。今もどこかで誰か死に、生まれ、歩き、走り、仕事し、眠り、食べ、笑い泣き話し黙り抱き合い舐めあいセックスし、また死んでいく(日本橋では乞食の老婆がうずくまっていた)。あのとき逃げていなければ、一年ぶりくらいに朝日を見たかもしれない。
 西葛西の午前零時、売春婦が片言で仕事帰りの男を誘う。警官は彼女らではなく、ダンサーやミュージシャンへ注意をする。バイクにもたれた男が通りすがる女に片っ端から声をかける。千鳥足のサラリーマンがセーラー服に腕を引かれてどこかへ失せる。ギターに耳を傾ける、僕の隣に座った娘が、煙草をくゆらせながら「あたし十五歳」と、誇らしげに、化粧で隈とニキビを塗りつぶした肌に皺を作って、笑う。
 午前十時に目覚めると、西を向く僕の部屋は暗かった。椅子の縁のパイプだけがぬらり光沢を放ち覚醒を促してくれた。窓を開ける、風が舞い込む、猫の鳴き声、外を見下ろす、寒くて震える。イマワは歩く、走る、寝転がってあくびをする。でもなつかない、噛む。そして突然、車に轢かれて死ぬ。やがて跡形もなく消えてしまう。
「君の今際には忘れているよ」
「そうかもしれないね」
 
 五、品川そぞろ歩き
 
 いつだったかの話だが、知人と品川をうろついた、計画もなく。「なぜ俺らここへ来たのだろうね」「いつかの予習ということに」「なるほど、で、どこへ行こう」「さあ」。前方で手を繋いでいたカップルの後姿がどう見ても男同士だったので確認しようと早足に追いかけるなど愚行を重ねていくうちに、品川プリンスホテルへ到着。互いのダメ人間っぷりを述懐しながらさまよい歩くと映画館。「ホテルにシアター、面妖な」と芋っぷりを露呈しつつ買うはチケット「武士の一分」。
十三時に開始なの、今時分はいつかしら、ほほ十一時半であるか無聊を慰めんかな。颯爽とホテルを出る。歩く。風が強い。「前髪が邪魔」と何べん叫んだか明瞭とせぬ。相方が「眠い」と言った回数も然りである。立ててある地図を見ると、近くに忠臣蔵・四十七士の泉岳寺があるという。
「行くか!」「応」二十分後、挫折。風吹き荒れる小春日和。日陰は寒いんである。日向は暑いんである。加えて僕らはダメ人間である。おまけに迷った。気力体力の双方が減退し限界に達し「映画の後にしよう」ってふりだしへ戻りホットドッグをがっつく。「実家に帰りたい」を倦怠期の妻クラスに連呼していると映画が始まった。終わった。夕方なのでもう暑くない。ただダメ人間は学習しない。再び無計画に泉岳寺を目指す。と、案外近くにあったバンザーイ!
いつのまにやら風は弱まり、静かに冷気を運ぶのみ。日が墓碑の奥から影を伸ばす。「浅野内匠頭長矩、三十五歳で死んだのか」「三島()由紀夫もだね。俺ら三十五までに何が出来るんだろう」「何も」「何もだな」ダメ人間バンザーイ! その後、高田馬場に戻りうどんを食らい帰宅。
 
※三島の享年は四十五歳。
 
 六、メアリの夢
 
「君の心のシミ・そばかす、余ってるなら頂戴、あたしに。
「あのさ、例えば、あたしの家の近くの空き地に捨ててある鍋の蓋。名もない草に囲まれて、油は雨に流されて、代わりに酸で錆び付いて、そんな蓋。汚い。誰も拾わない。でもこないだあたし夜明けに散歩して、空き地を通りかかったとき、偶然それが目に入ったの。したら日の出の光を浴びて、一瞬だけ光ったんだ、鋭く、ね。
「それが。確かに。見えた。涙に。……いや違う、あたしが言いたいのは、そんなくだらないメランコリーじゃない。何ていうか要するに、鍋はあそこに捨てられなきゃ、あたしがたまたま通りかからなきゃ、見なきゃ、そこで太陽が昇らなきゃ、光らなかったし、美? それは美ではないのかもしれないけれど、どちらかというと醜? まあ醜として、それもいいもんだ、っていうか、ごめん要しきれてないね。まあ、君はどう?
「ごめんあたしもう寝る」
 
 七、ロックンロール
 
 心臓が言った「僕は血友病」。グレッチを弾いてくれ、スコッチを飲ませてくれ。トレンディな鳥が飛んでトリップそんで死んで黄泉で笑う為に歌う描く書く語るこれロック也。
「君はシンプルを知っている? あたし知らない」
小さい頃の僕には聖域があって、それは竹林の中に友達と作った秘密基地だったり、表面が擦れて薄くなったグローブだったり、皮が剥落したボロボロのサッカーボールだったり、走り回りながら見た夕焼けのオレンジだったり、いろいろ様々だったんだけれど、肝臓が言った「僕はアル中」、明日は成人式で人生は楽しい。
「君はプライドを持っている? あたしにはない」
さようなら
頑迷固陋(がんめいころう)、執着はかっこ悪いよね、そうでもないか、どうでもいいか。僕はせせらぎになりたかったのだけれど、涙はやっぱり塩味がするし、もう泣くことも少なくなったんだ。塩ビ人形へ託した夢を取り戻しに行ける人はとても幸せだと思う今日この頃、眼球が言った「僕は節穴」。さようなら真夏の水道。さようなら暗闇で回転する粒子。
「君の中に住まう獣が君を喰らい始めたら、『それもそれで君の一部になるんだよ』とか言って微笑む人が出てくるだろうね。君はそいつを愛せる? 本当に? あたしには無理。だって、いや、ごめん、眠い、もう寝る」
笑う為に歌う描く書く語る。かく語る僕もロックでありたい。
 

八、超音速個人
 
 あらん限り公明正大に物事を御していく際の寄る辺、つまり大義名分は、しかし処理される対象を客観視しようとする者がそもそも主体者である以上、完全な滅私は不可能であるによって、既にして個人的な感覚・感性・感情を孕んでいる。現実では試験問題のように明確な回答システム(要素の分析や構成)と因果関係(書く→出す→単位・合格など問に働きかけるための動機)が最初から提示されていることがない。取り組む本人が自分で見つけだしていかなければならない。
αを求めよ。数式がある。こいつは一体どこから何のためにやって来て胡乱なる白紙へ意味を付与するのか。僕たちは数式が正しくそこにあること自体を疑わない。論理に従って解けば結果は出るだろう、しかしそこに載っている問そのものが正しいとは限らない。それはただ解かれるためにあるのではなく、誰かが意図的に配置したものではないだろうか。また偶然だとしても数式の発生には理由もしくは定かに理由と呼べぬ雰囲気のようなものがあるはずだ。更に、前述した通り形而下では完全なる客体がなく主客は未分なため、論理はさながらさびだらけのブリキ人形みたく形而上でとは異なった歩みを辿りやがて壊れて捨てられてしまう。それが生活世界だ。
 
 九、流刑地
 
 ミュージック、嬌声、新宿ペルソナタワー、嬉しそうな雨、やえむぐら揺れ、ているよー。剽窃を無視して、タペストリー、行こう、血液を舐める。静物、赤、光沢、補色、ばるーん。君の左脳を少し分けて欲しい。君の左脳を少し分けてくれない? ロールスロイスあげるよ。
魂はストップ安。みんな笑顔。
ミュージック、詩情ここにはない。砂浜で見つかった老婆の死体、わかんない、誰? その眼孔にはかつて詩があった。簒奪されて久しいようだ。骨は愛犬が食った。毛むくじゃらで風呂が嫌いな彼の中では若いままのキャシさん。鷲鼻だけはずっと変わらないね。
ほんとうのもの。
ミュージック、葉脈と指紋、あぶら、透き通って、なめまわす、唾液、光。灰の降り積もる音が聞こえなくなった。鐘の音を写真に取れなくなった。カブトムシにアリがたかっている。こげ茶の分解、吸収、連鎖。循環はしない。
ゆらゆらゆらゆら、と、している。
ミュージック、質量を持っている。虚実混同の問答に相当の騒動を妄想し、嘘から嘘へ早々に粗相をそそのかそうと、毛頭ないと同等の想像にて滔々と荒唐な口頭をノートより引用すると、とうとうトムソンうとうとし始め、僕は怒涛の、もう、躁状態で「暴走アシンメトリー」と叫んだ。
 
 十、開戦前夜のラピスラズリ
 
「涙を清冽と見做すかどうかは判断の分かれるところでしょうが、僕にはそれを峻別する力も意思もありません。開戦前夜のラピスラズリは生まれることをいまだ知らず、今後いくら人を惹きつける力を持つとしても、即席の存在理由に本質は見当たらないのです。メンソール製のスワヒリ語で君の胸を刺し貫くことに意義も異論も感じません――それがアイスピックより鋭利だとしても――朝露が瓦解する音を僕は無視できませんので」
 否定だらけの文章は何を為すでもなく読み手を見ている。シニフィアンの奥に鎮座・沈思する沈黙の言葉、そのまなざしは水星のダイアモンドダストかもしれない。
 
 十一、バケモノと頭痛薬
 
 失くしたはずの衝動が細胞の奥から甦ってきたが時すでに遅し、幾ばくの進化もなく愕然と部屋の中で新月を探して伏す。バスドラの鼓動と心臓の動悸にてズレが生じ動じ同心円状に血管を伝い感覚を犯す様は実に網膜の張り裂ける心地がする。夢の中で魔女がする文学講義に耳を傾ける間に麻痺し、暇を装い全てに背き、誰も彼も四六時中ゴミだらけで「キレイでしょ」と得意面している現実を一人で贖えると勘違いしながら怠慢なる神経を更に寝かせ付ける僕は半分死んでいると言える。
分裂しつつあるアメーバの気持ちを提示されたときの戸惑い、隠しきれぬ焦りについて「隠す必要があったのか」との反省も許可せぬ胸中はいかが? 脳内でコカ・コーラの空き缶が転がっている。取り上げると少し残っていた中身が蕩け零れて指に付く。腐臭。完璧ではない僕の世界、その片隅で今日も誰か処女を失った、これは冒頭と違い甦らない。一片のエントロピーに対する違和感は数年前から消えないままだ。
冬が終わる気配と共に何かが氷解し流れ出し、正体を考えているうちに再び寒くなり凍って消えてしまうのだが、今それはぬかるんで青臭い春を撒き散らしている。僕は半分死んでいると言える。もう半分はやさしくありたいと語る。或いは騙る(かたる)。夏の日の縁側で絵本を読みながら寝入っていた少年少女の五年後、十年後、十五年後。僕たちは平等にバケモノだ。もしも生活が死と敗北に到る道ならば、へらへら笑いながら垢を舐めている自己を省みる意味はないのだろう。虫は鏡を見ない。
 
〈了〉
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