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ヴァンダインの名前を見たときは個人的にとても懐かしかったです。前作を読んだことがないので何とも言えませんが、作者の癖として、純粋に情報や論理の他に、人物の仕草や表情、情報の使われる文脈や明かされるタイミングなど、プロットをリアルタイムで追っていないと気が付かない部分に伏線を仕込んでいるような気がします。
しかし何というか、作中でも詭弁合戦というようなことが言われていましたが、作品全体に暴力的な意思が漂っていますね。推理が不可能だろうが事件の全てが(或いはどこかのディテールが)幻想だろうが続編で新情報が山ほど出て何もかも滅茶苦茶にひっくり返ろうが有無を言わせまいとする欲望というか。結局は一筋の言い訳を通せば展開などいくらでも後付け可能なのです。例えば秘密の抜け道を否定する文脈でヴァンダインの名が提示されていましたが、逆に彼の名を提示したことで作中のどこかに秘密の抜け道を取り入れる口実ができたとも言えるわけです。
コンセプトは「アンチファンタジーvsアンチミステリー」でしたっけ。これだって言い換えれば「ファンタジーでないものとミステリーでないものの対決」であるわけで、「ファンタジー+ミステリー=全て」と証明できないのだから、「ファンタジーでない=ミステリー=推理可能」とも「ミステリーでない=ファンタジー=推理不可能」とも言っているわけではない。要は「何かαと何かβの戦い」でしかない。α=βの可能性だってなくはない。
極端な話、上では「一筋の言い訳を通せば」と書きましたが、そんなことはお構いなしで予想を裏切ってくるかもしれません。もっともそんなことをする現実性はエンターテイメント要素を維持する以上、そして作品から感じる暴力的な反骨心の効果的な成就を考えた以上、ちょっと考えられませんけれども、可能性としてはアリなのでしょうね。そんな永劫回帰と可能的世界に対する肯定的な考え、これは謎を考える上でちょっとしたヒントになりそう、かも??
ネットなどの推理や情報はたぶん見ません。しばらくは一対一で向き合ってみたい作品です。