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自分の内面を「形」にする ---投稿雑誌『Inside Out』ブログ since 2007/11/15
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プロフィール
HN:
川端康史
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1984/06/29
自己紹介:
『Inside Out』代表の川端です。
自分の内面を「形」にする。
こういった理念を持った雑誌である以上、私にも表現する義務があると思っています。
ここはその一つの「形」です。かといって、私だけがここに書き込むわけではありません。スタッフはもちろん作者の方も書き込める、一つの「場」になればと思っています。
初めての方も、気軽にコメントなど頂ければと思います。

mixi:kawattyan and Inside Outコミュニティー
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「迷迭香の夜」中編

【断章2】

春は仄かに狂れ心が薫る。
幽かな月光が暗雲越しに空から覗いていた。それはおよそ光とは呼べないような微かな光華、この世にあるほんのわずかな夢幻を寄せ集めた程度の朧。ぼうと 浮かび上がる空の円、色の天体は万物灰燼への帰着を囁くようだった。溶けていく妖しい光焔は、夜気が漂うその部屋の男女にも頼りなげにされる。そっと照ら し出される彼女の白いうなじは、数多の芸術を凝縮して創られた美ですらあるようだった。

「これから壊してやるよ」

琥珀の月のような女の瞳がゆらめく。
京は冷淡な表情を浮かべと未夜子のやわらかい唇を奪った。舌先を絡め、吸い付き、ふれあい、隠微なぬめりのなかでじゃれ合う。未夜子はその動きに、脳髄の根幹で眠る情欲の種を揺り起こされた。
京はくちづけを止めると、自らの屹立したものを未夜子の口に押し当てた。薄薔薇色の唇は厚めで艶やかな色気を醸しながらも、なお愛らしく瑞々しい。その「艶」と「処女性」を男の隆起は素のままに感じ取り、触れている薄紅にはあまりに不釣り合いな猛々しい芯となる。
彼はその猛りを少し口の中へ押し込んだ、そこには生暖かく甘美な花園が広がっていた。蜜を運ぶ蜂のかわりに粘液を運ぶ舌が条件反射のように亀を突き、味わい、包み込んでくる。その快楽をより激しく貪ろうと、京は彼自身を強引に深く押し込んだ。
準備のできていなかった未夜子は挿入に咳き込みそうになるものの、どうにかこらえて京の求める激しい動きに合わせようと首を動かし、喉の深くまで受け入れる。
「死ぬ気でやれよ」
言い放つ京に従って彼女は懸命に頭を上下する。艶やかな黒髪がふぁさりと宙に躍り、そのたび液と液とが混じり合う淫猥な音が響いた。
動きは激しかったが、その中でも舌先の繊細な奉仕の業は顕在している。まるで自己表現の手段であるかのようだった。
ふいに、京は未夜子を無理矢理引きはがしてベッドを降りた。突然の事に彼女は戸惑いを浮かべ京の貌を見上げると、そこには失望の色があった。
一言、彼は放つ。
「下手だな。もういい」
嘘だった。未夜子を苦しめるための嘘だ。どうもありがとう、気持ちが良い、そのようなことは彼には言えなかった。
しかし、「もういい」として、その後どうするのか。京は考えたが、帰れるはずもないというのがすぐに出た自覚だった。半端なまま収まりもつかない。
未夜子にそのようにいった以上、彼は待つしかない。彼女の言葉があってはじめて京は次の行動を許される。自らで縛った不可視の戒めをといてもらうことがで きる。その解きをまつ瞬間、一分を果てしなく長い時のように京は感じていた。未夜子は無言で、宵に映えるその琥珀の瞳に幽愁をたずさえ、男をみつめる。洗 練された赤葡萄酒のような、悲しみと不安と寂寞がとけあうその視線を受ける彼は、加えて何か小さな違和感を捕らえたような気がした。漆黒の洞穴の奥で、最 も深いもの を思索しているような正体不明の存在とでもいうような何か。
京はなぜだか、昔のことを思い出していた。その瞳のせいだろうか、追憶が未夜子との出会いへと遡る。
彼女はこういって京に声をかけた。
「あなたに言えばもらえるって本当? ―――大麻」
そのときの未夜子も、今と同じ瞳をしていたと京は記憶を巡らせる。



五月晴れのある日のことだった。新緑が木々に芽吹き、麗らかな陽射しが午睡を誘う。
「誰だ?」
「アナタと同じガッコの高等部の一年生です」
少女がいた。薫風に踊り出すように彼女は笑む。
京はある私立大学のキャンパスに通っていた。ベンチで読書をしているときのことだった。
「俺が所有してるわけじゃない。音大の知り合いが多少譲ってくれるだけだ」
「じゃ、話をつけてください」
「無理だ。子供には売れないんだ。法律で。大麻はハタチになってから。知らないのか?アメリカの大学生は五割以上が経験してるが、日本の高校生は駄目なんだ」
興味なさげに書物に眼を戻すが、彼は好奇心を抱いていた、なぜこんな美しい少女が平然とこんな事を言ってくるのか。何かの冗談のつもりだろうか、だとしても、最初に見たあの眼は一体なんだろうか。
「でも、欲しいんです」
膝に置かれた本への視線を少女はその白い顔で遮り、彼を覗き込む。
「……なぜ?」
息を吐く京に、彼女は一瞬にこっとしてから顔を引っ込めると、思案するように首で空の方を向く。しばし後、彼女は泣き真似をする。
「しくしく、母が病気なんです。魔法使いに電話してみたら、魔法の薬を調合するには魔法の葉っぱが要るって言われたの」
「……じゃ、この薬でもつけておきな」
彼はもっていたその書籍で彼女の頭をトンと小突く。
「ヤスパースだ。読書は馬鹿に付ける薬だぞ」
「ひっ、ひどい!母を重症のアルツハイマーにしてまで一生懸命考えたのに!」
少女は怒髪天を衝くように、細い足で地団駄を踏んでみせる。
「病気ってそんな設定かよ……」
京は苦々しい表情になるが、一方で時分の回りにいない、ころころと百色に表情を変えるような少女をほほえましく思った。
「とにかく。駄目な者は駄目だ。どこから話をかぎつけてきたか知らないが、俺は売人のつもりはないしな。諦めてくれ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
少女は琥珀色の瞳で何かを訴えるようじっと京を見つめるが、彼はその圧に折れない。
「……アナタ、やさしいのね。わかった。今回は諦めるよ」
「は、やさしい?今回は?」
「本ありがとう。読んだら感想教えるよ」
云うやいなや、彼女は背を向けて走り出す。やわらかな髪が宙に浮く。
「またくるね!アナタを説得できるまで。……むずかしそうだけど」
「おい……!」
どこか不可解な少女に、書籍を奪われてしまったと京は肩をすくめる。
だが、彼は不思議と苛立ちを覚えなかった。理由のない予感があったからだ。
また、彼女と逢うことになるだろう。
そんな予感が確信に変わるまで時間が要らなかった。

それから二人は、徐々に逢瀬を重ねる。 



「……待って。もっとがんばるから、怒らないで」
こくんと首を縦に振って、未夜子の答えが返った。
京はそれに内心小さく安堵しながら、その様子はみせることなく黙ってベッドに腰掛ける。同時に、ベッドの隅に置いてあった持参のバッグを引き寄せると、在るものを取り出して未夜子に一つ呈示する。
「それは安全ピンだよ……」
そうだな、と彼はにこりと笑む。そして未夜子が何か言おうとする前に、その針を彼女の右乳頭にすばやく『留めた』。鮮やかな手つきだった。
「――――ッ!」
声にならぬ声で未夜子の細い悲鳴が空気を揺るがす。わずかな鮮血がつうと滴った。
うずくまって小刻みに震える未夜子の頭をつかみ、顔を上げさせる。彼女の瞳の端には涙がたまっていた。それにかまうことなく京は股の間の存在感を彼女の口 に押し入れる。 そのまま彼女の頭ごとまるで物のように上下に動かし、あたたかな快楽の抱擁を彼は得始めた。呼吸困難、苦痛、脳震盪の苦痛で未夜子の美し い顔が歪んでいるにもかかわらず、京の心は狂喜でぞくぞくと満たされた。彼女の苦痛の表情は、そういう類の性を秘めているとしか京には思えない。
「いた・・いよう」
腕を一瞬止めた時、未夜子は哀願する。京はそんな彼女を嗜虐的な優しさで眺め、快の中心部と同じ未夜子の部分を右足で触れた。足指で器用にいじり回すと、先のほうで火照ったぬめりを捕らえる。
『こんなときにも……』
京はどくんと胸走る。
物のように扱われてこれほどの痛みを与えているにもかかわらず、それでも汚れた男性を口にくわえながらなお快感をえているというのか。この痛みすら飲み込んで快楽に換え、そしてのめり込む男の猛りを待ち焦がれているというのか。
「うっ……く」
京の赤い震驚は、しかしより大きな震撼に飲み込まれていく。
近かった、絶頂が。
真白に上り詰めたい、愛らしい口の中に全てをぶちまけて穢したい、欲望があふれ出す。彼は腰に力が入らなくなる、あたかも口から命を吸い出されているかのように感じ、腕の動きを止める。それでも未夜子のグラインドは止まず何かを奪うかのように猛烈に続く。   
柔らかい光沢の黒髪が舞い踊り、さらりさらりと、京の内股や中心部にじらすように接する。それは、男が幼少時に憧れた美しい女教師にそっと頬を撫でられた時を思い起こさせる錯覚で、身震いするほど切ない愛しさが沸き上がってくるのであった。
絶大なる恍惚で彼は無意識のうちに女の頭を撫でる。

そして次の瞬間、ついに京は奔流に飲み込まれたのだった。
どくん、どくんとはち切れそうにまで肥大したモノが狂ったように脈打ち、夥しい量の白く濁った愛が未夜子の口内に撒き散らかされる。
放たれた精に嘔吐中枢を刺激され噎ぶ未夜子、恍惚としながら悦びに身体を痙攣させ、我を忘れたように虚ろな目で意識のうちを彷徨う京。

二人を無視するように、京の根は闇の中で滑稽なまでの狂喜乱舞を続けていた。


【ミラノ】

1LDKの部屋。女の部屋。村尾の部屋。僕はそこにいた。

質素ながら住みよい石造りのアパートだった、築70年だという事だが、このミラノの街ではまだまだ若い方らしい。たしかに、この部屋に来るまでの間に市街をみていたが、築500年という建築物も少なくはなかった。木造と石造の違いだろう。生々流転し滅びの中に美を見いだす日本人と、この街の人間は根本的に完成が異なる原因がここにあるのかもしれない。
ヴァチカンでみたキリスト芸術しかり、永遠不変、絶対不滅の存在を石像や絵画で表現し荘厳な世界観を彼らは築きあげてきた。そうした永久の中にこそ真理を見いだすのが彼らの苦悩であり到達点なのかも知れない。
実際、街の至る所にキリスト教が敷衍し、自然に浸透している。イエスという者が織りなす宗教という創造物に魅了されそこからさらに二次創作、三次創作を行い街は発展してきたともいえる。行動原理の根底に「神」の視線があるのがおそらくこの社会だ。
だが、そうした意識の規範を持たない僕でさえ、彼らが創り上げた芸術には息をのむものだ。
村尾に案内されるまま、僕はある教会の門をくぐった。
そこは時が止まったかのようにが保たれ、最も清浄な蒼い氷の世界で創られたような純潔の広い空間があった。天は息を呑むほど鮮やかなステンドグラスに彩られ、その下で微笑をたたえた聖母の像は、全ての者に絶え間ない癒しを与えるようにたたずむ。それら一体を通して、絶対的な存在は確かにあり、その存在の普遍性と永遠に身を任せることは誤りではないのだ、と湧き上がるように感じられた。
マリア像の足元には、青く可憐な花が奉げられていた。ローズ・マリィの花だ。ささやかな花だからこそ、聖母像のシルエットに馴染む。
僕は花にはさほど詳しくない。だが、まったく知らないわけでもない。ローズ・マリィは、そういう少ない例外の一つだった。学生の頃、ローズ・マリィという留学生の友人がいて、彼女に教えてもらった。
ある時、彼女に僕は尋ねたことがあった。「君の両親はローズ・マリィ・サトクリフが好きなんじゃないのかい。それとも、英国ではよくある名前なのか、日本で言うハナコとかキクコみたいに」。すると彼女は肩をすくめる。「オー、サトクリフは子供の頃にたくさん読んだけど、別にサトクリフからつけたわけじゃないわ。それなら『美しきロスマリン』からつけたかもしれないじゃない?もっと単純、私のママがローズ・マリィの花が好きなのよ。よくある名前じゃないかしら。ハナコとかキクコみたいにね」。
次いで、彼女は僕に示してくれた。ローズ・マリィとは、マリアの薔薇(マリーローズ)なのだと。
キリスト教の普及した欧州にはこんな伝説があるという。
迫害を受けてエジプトへ逃る途中のマリアが、ある時、追っ手から逃れるため幼いイエスを隠すべく、自分の青いマントを白い花が咲く茂みにかけたところ、それまで白かったローズ・マリィの花が一夜のうちにブルーに変わったという。 
最高級の甘美な蜜を孕むものとして重宝さ、また、穢れを祓う薬草としても古くから修道院などで愛用されたローズ・マリィは、調べてみると和名で万年蝋といい、漢名では、発音不明だが「迷迭香」と書くらしい。
だが、なぜ万年蝋というのだろう。なぜ迷迭香というのだろう。記憶に無い。何か、その象徴するものが関係しているのだろうか。ならばローズ・マリィのモチーフとはなんだろう。
苦心して記憶を探ると、ふっと『花言葉』が頭に浮かんでくる。そう、ローズ・マリィの花言葉。なんだっただろう。聖母が示すもの。万年蝋。迷迭香。…… もう少し。喉元まで出かけている。もう少しで、なんとかたどり着けそう。そうだ……靄がかかっているものの、たしかそのイメージは……―――――

「また何か考え事?」
「……まぁ」
思考の遮断をなにより嫌う僕はいかにも憮然としたニュアンスで、まぁ、と答えておく。だめだ、今ので記憶は靄の中に隠れてしまった。
「そう、邪魔してごめんなさいね。そういえば、夕方からはずっと何かやることがあるって言ってましたねぇ。一体何をしてるのかしら、私の部屋でもできるの?やっぱりホテルをとる?」
少しため息をついて返す。
「ご心配どうも、ですが大丈夫。なるべく路銀は節約したいのですみませんが部屋を貸してください。そうですね、机とペンさえあれば支障はないんです。……小説を書いているだけですから」
この調子だと、どうせそのうち分かることだろう。なるべくあっさりと答える。
「まぁ、素敵ね。いいじゃない」
「やめてくださいよ、小説を書く人間なんてむしろ気持ちが悪いでしょう」
「あら、そんなことありませんよ、私、読書は好きですわ」
「それはちゃんとした作家の作品だからです、僕はただ趣味でやっている物ですよ」
「でも作品は作品だわ。あなたの言う違いは商業上の流通にのるかそうでないかだけじゃない?読者からすれば、趣味で創られたか、生活の糧として創られたかは大して重要な差じゃないのよ。つまらない者だったら何であろうと恨めしいし、おもしろければ身分は問わない……そういうものじゃないかしら?」
「そうだとしても、そもそも僕は読み手を想定していないんです」
「その割にはとても熱心なのね」
彼女はなかなか食い下がってくる。
「ある意味で、自分のためだけとも思っていないから」
「じゃあ、誰のためかしら。もしかして……私?」
冗談めかしてにこっと笑む。紅色の花がぱっと咲いたようだった。
「イタリアに長く住んでいると日本人の感性を忘れてしまう物ですか?」
僕がシニカルに返すと、彼女はまったく意に介した風もなく屈託無く笑んだ。
「ふふ……冗談です、そんなに意地悪しなくてもいいじゃない」
「どうも」
その笑みにつられて、僕もつい微笑んだ。肩をすくめる仕草をすると、ついでに肩の力も抜けた気がした。

もう、気を許しても良いのかも知れない――――

村尾美代子は少なくとも僕より年上のようだが、つきあいやすいし話もわかるようだ。
見かけだけでは僕と姉、くらいに見られるかも知れない。アクセサリーを眺めていると、売店のイタリア人に年上の彼女への贈り物ですか、と英語で戯言をいわれたりもした。心身ともに、疲れをあまり見せない雰囲気が、そのように見せているのかもしれない。
数日道中を供にして感じたが、どこかマイペースな性格が僕の張りつめた神経をなんだかんだで和らげていた。マイペースな一方で細かい気配りもきくようだからだろうか。思考が煮詰まる前に声をかけてくれる。
たまに言う下らない発言も態度も、もしかしたら気を紛らわそうとしているのかもしれない。そうでないにしても、初めの頃より気楽にそれを受け入れているのは間違いない。
何より世話焼きで面倒見が良く、無銭でガイドをし、そして路銀が少なくなったといえば寝床までたすけてくれる。僕はどちらかというと人に疑われにくい外見をしている方だが、それでもここまで世話をしてもらえたのははじめてだ。
元来はこんな彼女に疑いを持つべきところなのだが、旅先の若い女をたぶらかすならともかく、たいして資金のない男と長々と同行することに一体何のメリットがあろう。それに、後で何か困ったとしても相手は女性、逃げることは容易だ。なら、先のことにまで意識を集中せず、やるべき事に集中し、それ以外は気を休めていいんじゃないだろうか。
いや、本当はそんな事は関係がないのだろうか。何かへの言い訳のようにも思える。誰かに気を許すことへの言い訳か、気を許さないことへの言い訳か。どちらにしても言い訳なら、意味の無い反芻に過ぎないのだろう。
時間の問題なのかもしれない。所詮僕は一人では完全でいられない。それでも、平時であれば相当期間は問題ないのだろう。けれど、疲れてしまった。いつまでも解けないあの言葉の意味を一人探す旅に。そうでなければ、やはり僕は年上の女は苦手だ。個人個人で見れば善良な女性だっているだろう。しかしながら、繰り返しの経験が生存のため人にすばやい判断をあたえる。ならば、中学くらいの頃から、年上の女には何かと目をつけられ、少々厭な目にあわせられてきた僕が型はめの発想をしたとして一体誰が責められようか。
「あら、そういえば……」
村尾が思い出したように席を立ち、キッチンへと消える。少しして片手に一本の瓶を持って帰ってきた。
「この前に仕事で案内した日本人旅行者達からお礼でもらったの。結構高いやつよ。いかが?」
「ありがとう、一杯だけ頂きます」
頷くと、彼女は早速ワインを開きグラスに注いだ。
『……トク、トク、トク、トク』
いかにもしっとりとまろみある音を響かせて、そのデザートワインは注がれていく。
色合いはレモングラスに透き通り食卓の蝋燭の焔を反射して煌めいている。
「さぁ、どうぞ」
「村尾さんは?」
「私はちょっと風邪薬を飲んでいるので、また後で飲みます。どうぞ遠慮無く」
促され口を付けると、液体は黄金の蜜を連想させるものだった。熟成した糖度高い葡萄に、桃やアプリコット、ピーチの風味が漂う。さらに隠し味のように微かなスパイス感、それでいてふくよかな舌触りが心地良い。なるほど、いいワインだ、僕には少しもったいないくらいか。
そういえばアルコールなどしばらくとっていない。そのせいか、村尾美代子と他愛のない話などしながらの飲酒は心軽く良い気分だった。
アルコールと一緒で、気さくな笑顔も僕にとっては久々だ。もうそうした気持ちがどれくらい前にあったか思い出せない。

それからどれくらいたっただろうか、ゆったりとした時間を過ごすうちに僕は気が付くとワインを空けてしまっていた。

ふと窓の外を見やるとすっかりと夜は更け、ミラノの街は深海魚が眠ったようにひっそりとしている。
夜……、夜だ。やはり夜はどこにでも訪れる。日本でもイタリアでも、たとえ白夜地帯であってもそうなのだろう。

イタリアへ発った飛行機で窓を見た時も、空には夜が広がっていた。そのときの飛行機が着陸態勢に入り、雲を抜けて地へと向かう直前、ローマ郊外の様子を高いところから一望することができた。道路には車が散在している。それらの車の中では、もしかしたら男女が愛を語らい永久を信じて寄り添っているかもしれない。でも、上から見た時、それは散在する本の小さなドット、握ればつぶれそうなちょっとした大地の綻びにすぎない。じゃあ、僕はどうだろうか。僕を天の彼方から観察する存在はいるのだろうか、そうした存在に観察されたとしたら、その存在にとって僕はどんな綻びとして映るだろう。
―――いや、それもナンセンスな思考か。……別に誰も僕をみてなどいないだろうから。
『フィレンツェのエスプレッソは宵の味がする……』
遠くで囁かれた気がした。その囁きの意味が、解らない。

誰にも聞こえないように、僕は口の中で小さくそのフレーズを呟いてみる。逝くべき先すらないその言葉は、脆弱な空気に埋もれ霧のように散っていく。

――――しかし、その時だった。霧散するはずだった言葉を、女の声がその前に捕らえて言の葉を継いだ。

「その言葉の意味、知っているわ」
ドクッと心臓が高鳴る、はっとして声の方をみると、そこには当然のごとく村尾美代子がいた。彼女は目尾細め、瞳の光は妖しさを含んでいる。見透かすような静かなその視線は、僕の中の刻を凍らせ思考回路を沈黙させた。彼女が纏う空気は、もうこれまでとは変わっていた。
「ね、山田太郎君、ね、あなた本当は高原京司君っていうんでしょう」
鼓動が激しくなる、胸が痛んだが彼女が発する雰囲気にのまれ、黙って首肯してしまう。
村尾がくすっと顔を綻ばせる。
「素直な子ね、いいわ。私はかわいい子が好き。……あら、どうかした?そんなに顔をこわばらせて。せっかく綺麗な顔なのにいけないわ。そんな顔してると、虐めたくなるじゃない」 
席を立ってゆっくりと近づき、僕の顔を片手で撫でてくる。手は妙に冷たかった。
「あんた……誰だよ。なぜ僕の名前を知っている」
「あら、まだ解ってもらえないの」
拗ねたような表情でこちらの目をのぞき込んでくる。じっくりと醸造した美酒のような色香を漂わせるその女の眼球、その奥で微かに揺れる夜半を閉じこめた淡い瞳孔の彩りを、どこかで見たような気がした。遙か地平線の彼方で何者かと邂逅したことを、細胞の一つ一つが記憶しているように。
「いいのよ、怖がらないで。やさしくするから」
耳に息を吹きかける距離で顔を近づけ、人差し指で首筋を痛と撫でる。金縛りにあった子供みたいに僕は動けなかった。
「ねぇ、教えてあげるわ、言葉の意味。知りたいでしょう?ねぇ……知りたいんでしょ?そうよね、男の子ですものね」
鼻孔をくすぐる、うたかたの砂糖の香りがした。
「……知りたい」
女は慣れた手つきで胸板へと掌を滑らせ、優しくじらすかのように触ってくる。そしてするりとした動作でカラダを近づけ心臓のところに耳を当ててきた。
「こんなに緊張して張りつめて……、いいわ、いま楽にしてあげるから」
喉の中で唾を飲み込む。口の中は乾いていたはずだが、さっきまで飲んでいたアルコールのせいか体調がおかしかった、体は火照り、その熱に浮かされるように意識はぼんやりとしている、力が入らない。
「私も教えてあげるわ、だから、ね、あなたも教えて頂戴?あなたのこと……」
「ああ……」
村尾美代子は紅茶を一口飲んで息をつく位の間をとると、ゆっくりと口を開いた。その瞬間はスローモーションのようで、そしてアンダンテの様でもあり、いつまでも瞼の裏に焼き付いている。僕の下腹部に額をあて、その顔を見せようとせず、こう言葉を紡いだ。

――――娘を殺したのはあなたね。

石を投げ込まれた。心の深奥にあまりにも硬質で鋭利な石を。
鏡のように静寂だった湖面を突き破り投げつけられたモノが残虐な嵐を引き起こすように、脈はずくずくと高まり血圧を上げる、脳髄でチリチリと火花が弾け視界はいびつに歪曲した。僕は今どこにいる、何をしてる、誰といる、何をしたい、何が起こる、いや、たいした問題じゃない、それよりもなぜ僕は生きているんだ、そう、それだ、それがそもそものずれなんだ。
鋭い呼吸の音がした。自分でも気が付かなかったが、それは自分の引きつった呼吸の音だった。
「ああ、殺した。……いや、死んでしまった?違う、殺した。きっと僕が殺した」
言葉がどこからか漏れると、脳裏に磔台が浮かび、そしてすぐに風化した。
例えるなら暴風に荒れる海面の下、静かに広がる水の世界。さっき投げ込まれたモノは激しい海面から次第にその静かなる世界に溶け込み、ゆらゆらとたゆたいながら海底にそっと落ちるのに似ている。ふわっと海底の砂を舞い上がらせるように、村尾美代子は静かだった。ただ、かすかに艶やかな髪が揺れたようにみえた。

刻が、死んだようだった。

均衡を破ったのは、女の方だった。彼女は僕の股の間に跪き、そして口の端をうすく上げて笑む。妖艶、ただ妖艶、そうとしか表現使用のない笑みだ。瞳の奥で黄昏の光が妖しげに僕の姿を捉えている。まるで影が不可視の触手になってぬるりと僕を縛り付け取り込んでいくように。
紅色の唇が濡れているのが目について、意味もなく意識に残る。とても赤く、なまめかしく。
女は不意に僕の目から視線をはずし、別のところへ移した。その場所は僕の中心であり原初であった。華がゆっくりと咲き開くように微笑み、目を細めてみつめている。
「正直に言えて、偉いわ……良い子にはご褒美を上げなきゃね」

甘露が溢れて――――零れた。

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