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自分の内面を「形」にする ---投稿雑誌『Inside Out』ブログ since 2007/11/15
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プロフィール
HN:
川端康史
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1984/06/29
自己紹介:
『Inside Out』代表の川端です。
自分の内面を「形」にする。
こういった理念を持った雑誌である以上、私にも表現する義務があると思っています。
ここはその一つの「形」です。かといって、私だけがここに書き込むわけではありません。スタッフはもちろん作者の方も書き込める、一つの「場」になればと思っています。
初めての方も、気軽にコメントなど頂ければと思います。

mixi:kawattyan and Inside Outコミュニティー
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「長い手紙」
本多篤史

ずっと考えていたことがある。感情を表す言葉はたくさんある。人は自分のことを考えるのが得意じゃないから、恋、慕、喜怒哀楽、悲、嘆、情、虚、色んな言 葉を使って自分の事を知ろうとする。けれど、一時の私の感情を本当に正確に伝えるにはきっと百万ページくらいの言葉が必要なんだろうっていうこと、そして 私のために三日三晩かけてその百万ページを一生懸命読んでくれる人はきっといないんだろうっていうこと、それを私達は知っている。トオル君はそういう意味 ではとても良い人だった。私の気持ちなんかきっと何一つわかっていなくて、私の百万ページがそこにあるのをわかっているくせにそれを手にとりもせずに涼し い顔をして笑ってくれるような、そういう男の子だった。そんなトオル君はある日突然私の前からいなくなって、それからしばらくしてこの世界からいなくなっ てしまう。私はトオル君がいなくなってから毎日、誇張ではなくて本当に毎日彼の事を考えているけれど、どうしてもわからないことが一つだけある。
かつて確かにそこにあったはずのもの、それへの感情を私はなんと名づけたらいいだろう。



Ⅰ 手紙

路面電車の終点の奥の坂を登っていくと、狭い階段があります。右に曲がるその階段を少し昇ると、真っ直ぐと空まで続くような長い階段があって、その途中 の路地の突き当たりが僕の祖母の家です。佳奈さん、僕は今東京を遠く離れたこの街にいます。大学へはしっかり通っていますのでご心配なく。落ち着いたらす ぐに連絡するよう言われていたのにいつのまにか半年がたっていました。そちらはお変わりありませんか?今日は僕の街の話を、(僕の街、というのもなんだか 変な感じがしますがそう言わせてもらいます)佳奈さんにしておこうと思って手紙を書くことにしました。
佳奈さんのいる東京とこの街とは、はっきり言ってかなり違うところです。まずこの街では、電車が道路を走ります。正確には路面電車と言って、道路のど真 ん中に線路が走っているから、電車のくせに信号待ちをするんです。地理的なことも話しておくと、九州の西の端、川の続きみたいな細長い湾の両側はすぐ山に なっていて、ほんのわずかの平地に繁華街があって、斜面に家がたくさん建っていて、人々は、それは、まあ、東京とほとんど同じです
僕の家は、先ほども少し書いたけれど、坂の上にあるから景色はまあまあきれいです。隣には「倉田のばあさん」なる人物が一人で住んでいて、猫に餌をあげた り、背中を丸めてきつい階段を昇り降りしたり、ひなたぼっこをしたり、近所のばあさんやじいさんと立ち話をしたりして暮らしています。僕もたまにお呼ばれ して、世間話をします。大学までは徒歩とバイクで40分くらい。といっても週の半分は学校のすぐ近くにある友達のアパートにいます。
「倉田のばあさん」について少し話をしておくと、彼女は僕の祖父母ともとても仲がよかったらしく、祖父母の話を良くしてくれます。おかげで数えるほどし か会ったことのなかった祖父母のことを今ではとても身近に感じるようになりました。この街ではみんな周りの人間と街の話しかしないから、だんだん音楽や ファッションや芸術には疎くなっていくけれど、それはそれで楽しいと今の僕は思います。とは言っても高校時代に佳奈さんや他の仲間と過ごした時間、音楽の 話、芸術の話、夢の話が嫌いになったわけではなく、それぞれの街にはそれぞれの生き方がある、とうだけの話です。「倉田のばあさん」は猫を7匹飼ってい て、そいつらには一匹も名前がついていません。子供や孫が訪ねてきているのを見たことも無く、どこかへ遠出しているのも見たことはありません。彼女は7匹 の名前の無い猫と、気の置けない隣人達と、階段の昇り降りだけがあるとても小さな世界で生きています。彼女を見ていると「年をとる」ということがどういう ことなのか少しわかってきた気がします。それはきっと、より多くのことを知って世界を広げていくことではなく、より多くのことに触れながら、その中から大 切なものを選び取っていくことです。彼女の作ってきた小さな世界が、僕は好きです。あ、「倉田のばあさん」自身についての説明を忘れていました。彼女は背 中が曲がっていて、いつも同じサンダルを履いていて、いつも笑ったように頬が膨らんでいるとてもかわいいおばあちゃんです。身長は多分150cmにも満た ないと思います。(いつも背中が曲がっているので正確なところはよくわかりません)
とにかく、彼女の作ってきた小さな世界と数十万の小さな世界が集まってできた、夜景のきれいなこの街が僕は好きです。

Ⅱ 旅の始まり

金も時間もある私には、今、展望だけがなかった。なぜ私は仕事をやめてしまったのだろう。結婚相手がいるわけでもなく、人間関係に悩んでいるわけでもな く、待遇に不満があったわけでもなく、野望があったわけでもない。でも、あのときの私は、確かにそうするしかなかったのだ。30を目前にした、特に意味も なく貯まっていった貯金を抱える家事手伝いの女はこれからどうやって生きていけばいいのだろう。トオル君、教えてくれよ。と手紙に向かって私は呟いた。そ れなら僕の街に来てくださいよ、とトオル君が言った気がしたので、私はさっさと旅支度を始めた。逃避と言われればそれまでなのだけれど、確かにトオル君が 私を呼んだのだから、これはもうどうしようもない。トオル君、ごめんなさい。合掌。
もうあれから10年が経った。19歳の普通の少年が、ある日突然、死んでしまったあの日からだ。そうだ、19歳の少年でさえ、ある日突然死んでしまうの だ。だから私は今のうちに、一刻も早く旅に出ないといけない。とはいかないけれど、私はこうして「トオル君の街」長崎への旅立ちを決めた。「ちょっと行っ てくるよ」と辛そうな顔をしている猫の花瓶に挨拶してから、私はその日のうちに空港へと向かった。六月の平日、閑散とした空港で飛行機を待つのは、考え事 をするのに最適だった。閉じられた広い空間にはそれとおなじくらいの体積の思いを入れることができるのだろう。私はぼんやりと、私とその周りの人たちにつ いて考える。お父さんは来年で定年退職。退職金は多摩の一軒家のローンを払ってしまえば使い道はなんにもないから、しばらくは私の面倒も見てくれるだろ う。お母さんは私の事をもうあきらめたのだろうか、最近は結婚の話もしなくなった。二十歳すぎくらいまでは彼氏の事や学校のこと、なんでも話す仲の良い親 子だったと思う。でも少しずつお母さんにも言えないような(もしお父さんが聞いたら卒倒してしまうような)経験が増えてきて、特に仕事をやめてからはとり とめもない話しかしなくなった。窓の外の飛行機は目的地へ向かって飛び立っているけれど、私はこれからどこへ向かうのだろう。それを考えると不安になるけれど、とりあえず長崎へ向かおうとしているのだからいいか、と思う自分もかわいいと思う。飛行機だって決まった航路をただなんとなくぐるぐる回っている じゃないか。飛行機の出発時刻がきて、機内への案内が始まった。凛と立ち客を迎える客室乗務員の笑顔に、私はなんとなく後ろめたい気持ちになった。狭い空 間には小さな思いしか入らないから、私は機内でこれからの旅のことを考えようとした。けれども高いところから見る街並が何県の何市かもわからず、しかもど こも同じように思えたので私はすぐに考えることをやめて眠ってしまった。でも六月の空と、空から見える街や山や海や道路―人間達とそうでないもの達―はす ごくきれいだ。
トオル君と出会ってからもう14年が経とうとしている。当然のことだけれど初めてあった時の印象なんか全く覚えちゃいない。それどころか高校二年生の頃 のことを一生懸命思い出してみると文化祭で下手糞なダンスを披露したこと、その頃親友だった一美とデリカシーの問題で大喧嘩をかましたこと、保健体育のテ ストで百点を取ったことぐらいしかでてこなかった。ほんとうにどうでもいい。一美が今どうなっているか想像しようとしてみたけれど無理だった。だって興味 がないんだもの。思い出はなくても情報としてのことならたくさん覚えている。例えばクラスメート四十人を出席番号一番から言っていくことは今でもできる し、トオル君が長崎の中学校からやってきたことも覚えている。各科目の担当の先生の名前だって覚えているし、友人達の大体の成績もわかる。ただそれらに欠 けているのは定期試験の後に張り出される藁半紙の順意表の手触りだったり、授業をする先生の声やトオル君の髪の毛の揺れ方だったり、下校する頃の教室の温 度だったり、要するに大人が憧れて讃えるような青春の形の一つ一つだ。そうか、青春の形を私はいつのまにかなくしてしまったんだ。トオル君、あなたは私の 中の恋する乙女も一緒に連れて行ってしまったのかもしれないね。まあ、今更返してくれとも言わないけれど。
飛行機は滑走路が一本しかない小さな空港に着いた。羽田だって海の近くにあるからあんまり変わらないはずなのに「潮の匂いが気持ちいい」とか思ってしま う自分がまた少しだけかわいい。違いなんて無いのは頭の片隅でわかっているけれど、初めてやってきたこの街の空気を私は精一杯感じようとする。きっと旅と はそういうものなんだ。いつもの空間とのほんの少しの差異を一生懸命探し歩いて疲れきって、美味しいものを食べて眠る。今度はどこへ行こうか、とか何をし ようか、とかそういうことを考えながら、次の旅のために日本人は旅をするのだ。何十年もかけて差異をたくさん集めて、それから人は、どうするのだろう。
長崎市内までノンストップで連れて行ってくれるという親切なバスに私は乗り込んだ。少し暗いバスの中には大きなかばんを持った学生風の女の子やスーツを 着た普通の男の人がちらほらいて、私を無言で迎えてくれた。すいません、となんとなく心の中でつぶやきながら一番後ろに席を取る。程なくしてバスが動き始 めたから、私はガイドブックを閉じて窓の外に目をやる。こんな日本中どこにでもあるような地方都市の風景でも情をかきたてるから、やっぱり旅はすごい。バ スが高速に乗って、短いトンネルをいくつも抜けて走る間、目的地へ向かってバスもまた短い旅をする間、私はトオル君のことをできるだけ思い出してみること にした。彼はまず、なかなかきれいな顔をしていた。それなりの身長をしていた。髪の毛はだいたいいつも短かった。一度だけ髪を伸ばしたことがあったけれど いつのまにかまたもとの短髪に戻っていた。彼は要するに普通の男の子で、彼と一緒に過ごした時間(含みはなく、単純に同じ学校に通っていた時間)は私のこ れまでの人生のなんと15分の1程になってしまった。けれどトオル君のことを思い出しはじめたらキリが無い。使っていたカバンの色から歴代の通学靴の形ま で私はまだ覚えている。ブレザーの袖の長さやズボンの下げ具合まで、もしトオル君の等身大人形があったら私は当時の彼の姿を気持ち悪い程正確に再現できる 自身がある。大げさに聞こえるかもしれないけれど、十代女子の恋する乙女力をなめてもらっちゃ困る。それからトオル君はとてもいい声をしていた。きれいと も、魅力的とも違う「いい」声だ。友達には意味がわからないと言われたけれどきっとトオル君の声ならお風呂で思いっきり叫んでも響かずに素直に私の耳に届 く気がする。そういう感じの声だった。友達の部活の後輩、がそのうち友達、になっていつの間にか私はトオル君に恋をしていた。彼のカバンにも、声にも、腕 にも、一つ一つの動きにも恋をしていた。今ではもう無くなってしまったものに、私はそのとき恋をしていたんだ。そのことが「今の」私にとってどういうもの かわからないけれどただ言えることは、サスペンスドラマで殺人事件が起こるくらいそれは必要だったということだ。私のまだ続いている生にとって。彼の死に とって。私達は最終的な破綻に向かってゆっくりと準備をしていて、恋もその一つなのだろう。今ちょうど着いたばかりの長崎の街も、ゆっくりと最終的な破綻 に向かって準備をしているんだ。呼吸するみたいに。

Ⅲ 手紙

たくさんの小さな世界が重なり合って一つの町を作るんです。

いきなり何を言い出すんだこの少年は、と思いましたか?お久しぶりです、佳奈さん。はじめの言葉の意味がわからないならこの街に来てみてください。東京 がプールだとしたら、この町は水溜りみたいなものです。プールに入って濡れるのは当たり前だけど、水溜りにはまって濡れたら多くの人は嫌な顔をするでしょ う?そんな風にこの街には東京では気付かないような、はっとさせられることが多いです。この街は東京に比べて人がずっと少ないから、僕みたいな普通の少年 でも一人一人の持っている世界の大きさに気付くことができます。例えば僕の世界はこの高台の家と、大学の数人の友人と、親戚と、佳奈さんへの手紙、それで おしまいです。でも僕の世界は猫達や長い階段のおかげで倉田のばあさんの席とつながっていて、その息子とつながっていて、息子の奥さんとつながっていて、 という風にたくさんの世界とごくごく緩くつながっています。そのつながりが細長い湾の上に薄く網みたいにかかっていて、一つの街ができているんです。それ が切れたりくっついたりしながら、呼吸するみたいにゆっくり動いているのを僕は感じるんです。街は生きているんです。僕はそんな街がとても好きなんだけ ど、反対に街で人が生きるというのはとても悲しいことだと思います。佳奈さんは猫の額みたいに小さな、じめじめした斜面の土地にしがみついて生きている老 人達を愚かだと思いますか?血のつながりも良くわからない親戚達と話をするのはつまらないことだと思いますか?網の目となって切ることができないでいるつ ながりのなかにいるのは息苦しいと思いますか?僕は、それらは全部、悲しいことだと思います。そしてそういう人たちを心のどこかで軽蔑している自分を憎ん でいます。そうだ、僕は自己愛の塊のような人間なんです。佳奈さんならわかると思うけれど、僕がどれだけ他人や道端のタンポポや名前の無い猫を愛そうとし ても、それは自己愛の投影でしかないんです。人間なんてみんなそんなものだよ、と佳奈さんなら言うかもしれません。でも僕の悲しさはそれではなくならない と思います。僕の悲しさはたまらない愛おしさと一緒にあるから、佳奈さんの仕事は悲しさをなくす言葉を探すことではなく、悲しさを見つめるための言葉を僕 に教えてくれることです。わがままな後輩でごめんなさい。佳奈さんからのお手紙待っています。タイトルは「自己愛の投影と世界の重なり方の関係につい て」。あと、昨日の夜に倉田のばあさんが救急車で運ばれたそうです。大したことがなければいいんだけど。なので猫に餌をあげなきゃいけないからしばらくは 毎日自分の家にいます。毎日郵便受けをチェックしますよ。

Ⅳ 生地について

私は生まれてこの方編み物をやったことがない。というか興味を持ったことすらない。裁縫なんてもってのほかだし、(男の子の前以外では)ボタンすら自分 でつけない。そもそも面倒くさいことが嫌いなのだ。既製品の洋服が大好きだし。だから私は生地や編み物について詳しくはないが、トオル君が手紙で言った言 葉がこの街にきてみてすごく良く分かる。トオル君が網と呼んだそれは私に言わせるととてつもなく強く細い毛糸でとてつもなく粗く編まれた編み物だ。繁華街 の片隅にある古びた乾物屋や極めて無国籍な定食屋やなんとなく中国臭い公園は全てその一つ一つの網目で、とても細くゆるく繋がっている。ある程度は自由に 動くのだけれど、決して全体から離れることはない。とても暖かくて、柔らかくて、頼りない。そんなイメージの街だ。そして私は、東京の街をフェルトみたい だと思った。ぎゅうぎゅうづめで、風邪も通さなくて、厚い。でも表面をつまんで引っ張るととても簡単に小さな繊維たちは剥がれ落ちてしまう。そうか、都会 には糸がないんだ。細くて、とても長いもの。私の前や後や右や左につながる細くて長くて、そしてとても強いもの。織物みたいな町がどこかにあればいいな、 と私は空想する。できればシルクがいい。さわやかに光る絹糸が整然と絡み合って、一枚の肌触りのいい街になるなんて素敵じゃないか。南米の麻布みたいな 町、草原の木綿みたいな町、真っ白なコットンみたいな町、近未来ポリエステルの町、私の頭の中で「繊維、佳奈」が色んな街へ旅をする。私の乙女力が復活し てきたようだよ、トオル君。楽しい旅になりそうだ。
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トオルくん
こんばんは。はじめまして。作品をちょっと、読ませてもらいました。私は、長崎市出身なので、長崎の作品をどんどん読みたいです。ありがとうございました。作者の方のお名前は男性ですが、文体を見ていると、女性なのではないかなと思ったりしました。
Jeery 2009/11/11(Wed)23:09:58 編集
無題
コメントありがとうございます!長崎市御出身なんですね!どのあたりですか?

自分も長崎市出身の、25歳の男です!なんとなく女性を主人公にしてみたのですが、きちんと女性らしく読んでいただけたのなら嬉しい限りです。続きはwikittというサイトにもあげてあるのでよかったら見てみてください。
本多 2009/11/12(Thu)11:50:43 編集
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