まあウェッブで注文しろよなんて声も多々「吉澤直晃議会」で聞かれるわけですが、保守派の与党としては実物を前にあれこれ考えるのも読書の一環という思想を持っておりまして、パラパラ吟味のつもりが一冊丸々読み通してしまう或る意味忌むべき現象の楽しさは否みがたく、生まれ育った国同様解散総選挙には至りません。本屋イコール誰かの蔵書と妄想してしまう癖もあり、店によって品揃えが違うのもやむなし、むしろ逆に愛着が沸いてしまうこれを病気と処するか一度議題に挙げようかとも思いますが、真剣に考える暇があるときに限って抑圧されて出て来ません。
smarkの書店にしたってレーモン・ルーセルを入荷する気配はなく『ロクス・ソルス』は別の書店で買うことになるでしょうそれもまた一興でございます(『アフリカの印象』はヒツドクですよ!)。またジュンク堂にしても怠惰なわけではないでしょう(ナンシー『無為の共同体』が入荷されていたときは感動しました)。ここまで書いて「どの書店にしたって出版社に注文してくれるだろ」とまた野党からツッコミが……だから少なくとも私の中では政権交代が起こらないのです……本屋を渡り継いで探し回るのがオツなのですよ、と。
肝心の(子供、磯崎著ではなく)『挟み撃ち』は考えていることにフィットして、そのフィットしすぎな様が逆に不安だったような気もします……個人的に芸術の評価はどれだけ戯れられるか(読み返すでも読み返さないでも、思い返すことができるか、考えを巡らすことができるか、要するに愛せるかってことです)にかかっているのですが……割り切ることのできる見通しみたいなものがサッとよぎりました。ただ後藤氏の距離感というか、書いている場所というか、まあつまれば文体なんですけれども、それはもうホント大好きです。
え、と、……また野次が。「何が言いたいんだ」ですって。知ったことではありません。それでは今回はこの辺で。読んでいただきまことにありがとうございました。感謝いたします。
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