書き手同士でも明るく読み手にはもっと明るく、皆でイベント全体を楽しいものにしようという空気が顕著でした。下手をすれば独我的・内輪受けになってしまう詩と詩業界の性質を詩人さん方も意識されているからこその祝祭ムードだったと思います。
「キモい」と思われがちな詩、ただ、普通の人が普通に詩を読んでいるし、書いている(もちろん普通じゃない人が読んで書いたって良い、つーか普通ってなんじゃらほい。あれ? あれ?)。多くの詩人方がそういう状況を見せたいんだなってのがわかりました。
この「キモい」という認識、ポエケットにおいて完全に打破されていると僕は思えません。しかし、何度も書いているようにかような認識を詩人方は知って、抗っています。振り返って小説書きはどうだろう? と考えてしまうのです。
文学を読まない、関心がない、無用の長物と断ずる人々へ文学の魅力をアピールするにはどうすればいい? 僕たちは、ただ書いて、出して、売る、あるいは配る、と、ルーチンワークに陥ってはいまいか? 僕は文学をする者としてルーチンワークを否定します。「何のために」を考えなければいけない文学は弱い。しかしルーチンワークだけは頂けない。外部といかに繋がっていくかを考えなければ、内部も自然と腐っていくのではないでしょうか。
ポエケットから三日ですか。そのようなことを思いました。それでは。
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