さて、少し事務的なお話をしますが、
第3号のカラーページに掲載するイラストを、ヨUHEさんから受け取りました!
これで第3号発行のメドが立ちそうです。
ヨUHEさん、毎回毎回ありがとうございます。
話は変わりまして、昨日の吉澤くんのブログで、
『あるものごとを真剣に話し合う場において曖昧な言い方で通すということは「自己が吟味され否定され棄却されるかもしれないリスクを背負」うのを拒否しているように見える場合があり、僕にとってはそういう態度の人間の方がいわゆる「上から目線」であると感じられる、ということは主張しておきたいのです。』
という記述がありました。
これを読んだとき、自分のことを言われているんじゃないかと思って、
一人でハラハラドキドキしてしまいました(笑)
まさに私は、曖昧表現を使用する人物なんです。
『断言』することを恐れています。
『断言』することによって生じる「責任」を回避したいのです。
でもそれは、決して曖昧に誤魔化しているわけではありません。
この世の中には「絶対」といものは存在しないと考えているから、
また、自分の言葉が持つ「力」を知っているからです。
長くなりそうなんで、結論から言うと…
「『断言』はTPOによって使い分けよう!」
吉澤くんの言うとおり、論文や学術発表の場など、『断言』しなければいけない、
あるいは、『断言』した方が良い状況というのは存在します。
でもそれと同様に、『断言』しない方が良い状況も存在するのです。
例えば、自分のことを信じきっている友人がいたとします。
○○さんが言ったことに従っていれば間違いがない、と思っているとします。
その友人に、就職について相談されました。
聞けば、A社とB社どちらに就職するかで悩んでいるそうです。
自分の得た情報によると、
・A社はサービス残業が多いらしい
・B社は今のところ悪い噂を聞かない
「A社はサービス残業が多いらしいから、B社にした方がいいよ!」
こういう風に『断言』してアドバイスしたとします。
そして友人は、B社に就職しました。
ところが。実際に就職してみて分かったこと。
B社は表立っていないだけで、A社よりもサービス残業が多かった…!
友人は、自分を責めます。「あなたがB社が良いっていうから就職したのに!」
この場合、あなただったら責任が取れますか?
私には責任が取れません。だから『断言』もしません。
『断言』することは、潔い行動のようにも思いますが、
それと同時に、あらゆる可能性を否定する行為でもあるのです。
『断言』しないことは、無責任な行動のようにも思いますが、
それと同時に、あらゆる可能性を残す行為でもあるのです。
これ以外にも、『断言』した方がいいのか、しない方がいいのか。
いろいろな状況が存在しますし、考えなければならないときもあります。
その時々の状況を考慮した上で、発言するのがベターかと思います。
世の中には、自分の発言の持つ『力』を理解せずに発言する人もいます。
自分の意見を押し付ける人など…
こういう人に関しては、「断言するということは上からものを見ている証拠」
この言葉も適用できるかも知れませんね。
私は、こういう人とはあまりお友達になりたくありません(笑)
せっかく結論から述べたのに、長くなってしまいました(笑)
自分の意見を文章で書くのは難しいですね。
おしゃべりは大得意なんですが・・・
これも、『断言』することによる責任回避なのかも知れませんね。
では、また。
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