「死にたくはないけれど消えてしまいたい」なんて台詞を人生で数度数人から聞きました。お読みの方もそんな経験があるかもしれません「が」、きっと僕が少年時代よく掃除道具入れに自ら隠れて楽しんでいたときの感情とは違うのでしょう。しかしどんな感情なのか問うてもダイレクトに表せるわけもなく、コミュニケーション不能状態に陥ってっていうのは悲しいし、嫌いです。
小説を書き始めたのは何故でしょう。知りません。気がついたら原稿用紙を買い鉛筆を走らせて徹した初夜の僕に尋ねても拳が飛んでくるばかりでしょう「が」、それではしょうがないので言語の一方面を強調してしまう性質に今一度屈して著してみますと、良い人間になりたかったのだ、その良いが何なのかまで執筆にて通じられる気がしていたのだと思います。そしていつの宵か良いが酔いに変わり、僕は次第に自分が透明になっていくと感じます。「死にたくはないけれど消えてしまいたい」、背後には、無に吸い寄せられていく、この世から消去されざるを得ない自己へ聞き手の関心を引き寄せる意図があるのでしょう。
かの台詞を放った人達が今どこにいるのかは知らないし、偶然に出会ったとしても気がつかず、あるいは本人だと確信できなくて、いやできたところで素通りするでしょう。彼らは消えてしまいました。記憶も消えていく最中でございます。
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