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こんにちは、吉澤直晃です。
自室にネットを引いていないためブログは専ら大学のパソコンルームで書いております。
今も、オンライン授業を受講する方やレポートを執筆する方、美少女アニメを閲覧する方に囲まれて、ちょっぴり恥ずかしいです(自分も覗き込んでいるので自業自得ですネ)。手元には北原白秋詩集があります。たぶん午前中の僕は彼の話を書くつもりだったのでしょう。けれども、急にある人物の顔が頭から離れなくなってしまいました。アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグです。
マンディアルグの小説はどれもストーリーを思い出しにくい。暗唱するほど読みまくったわけでもないので彼の小説一般の性質とは言いませんが、丁寧に読むほど細部や場面に意識が向かってしまって結局「どういう小説だったっけ?」ということになる。それで筋に代わり印象に残るものは、イメージ、他の本ならびにアートもしくは生活では体験できない鮮烈な感覚であります。
例えば『オートバイ』では、錯綜するアウトバーンだったり、レベッカが全裸にライダースーツを着る姿あるいは肌触りだったり、バイクのスピードを上げるにつれて思考も速くなり相対的に文章の流れへ生じるスロー感だったりが、半透明のフィルムを重ねたみたく想起されてくるのです。
感覚を積み重ねるなど、どの作家も普通にやっていることなのですが、マンディアルグの場合はイメージを執拗なまでに彼独自のものに仕立て上げ得ていて、だから読者の脳にいっそう鮮烈に焼きつくのではないでしょうか。先ほどの例で言えば全裸にライダースーツを着るのは僕でもなく、ある女でもなく、いつもと変わりないレベッカ一般でもなく、あくまでその時その場のレベッカである、といったように。
これは単に感情移入というレベルではありません。僕が僕であるまま、レベッカがレベッカであるまま、いわば眼球同士を触れ合わせて涙を混じり合わせる場に立っているような、とろとろに溶けたものを客観から見る視線の、誰でも(神でも)ない匿名性、ここに彼の更なる魅力があると思います。太陽の何倍も大きく何倍も高熱の天体が広大な宇宙の中で焼尽し続ける姿は青い。この青い現実にマンディアルグの小説は似ています。
もちろん時期によって作風は違い、前期は自由な空想を原稿に固着したっぽいモヤモヤ感が強く、後期はそのロマン的なボヤケが少なく何色もの血液を投げつけるような官能がリアリティを増して存在しています。ですが「マンディアルグワールド」は変わらず通底していて、場面ごとの差異が際立たず、ストーリーが覚えにくくなっている原因はここにある気がします。
『女子学生』が一番好きです。それでは!